日本の幼児教育に対する危機感や幼稚園の構想を語り、面会後は手紙を書いた。そして再び面会の機会を得て、それが2度、3度と重なっていく。その経営者からは「なぜ、私はあなたから、こんなにたくさん手紙をもらうのでしょうね」と半ばあきらめたように言われたという(その結果、「資金面では難しいが、他のことなら」ということで、幼稚園の設備面で多大な協力を得ることになった)。
また、中国で知り合った女性の紹介で、企業人の勉強会にも参加した。そこである大企業に勤務するビジネスマンのスピーチを聞いた。そこでまたしても「誠実そうなこの人ならば」と感じた天野氏は、その人物に想いを語り、彼の勤務する会社の社長との面会の機会を得ることになった。その時には、時間を十分確保するために一計を案じた。
「忙しい人だから面会に多くの時間を割いてはもらえない。でも、食事は誰だってとるはず。そうだ、お弁当の時間に面会をしてもらえばいいんだ」
そこで、昼食時にアポイントをとりつけ、なんと手作りのお弁当持参で面会に向かった。そして「食べているから口はふさがっていますが、耳はあいているでしょうから、私の話を聞いてください」と、熱いプレゼンテーションが始まった。その時の社長の困った顔が目に浮かぶようだが、見事、資金協力を得ることに成功する。
そんなある日。
「かつて勤めていた幼稚園の教え子のお母さんから、現在の幼稚園の土地提供者の方を紹介してもらいました。実は、このときは企画書すらできていなかったんです。口頭でひとしきり説明すると、その方は『いいですよ』とひと言。うれしいというより、こんな人もいるのか、とびっくりしました」
ちなみにその土地…幼稚園設立当初の敷地約700坪は、当時の時価で約4億円相当。まさに奇跡は起こったのである。
解決できない問題などない
これが“風の谷”の常識
しかし、“土地さえあれば幼稚園ができる”わけではない。たとえば、学校法人の認可の取得も難関だった。学校法人の認可は非常にハードルが高い。当初は「理想の教育ができる場であれば形式は関係ない」と考えていたのだが…。
「実は、提供された土地が市街化調整区域だったため、学校法人の認可を得た幼稚園にしなければ建物が建てられないことがわかりました。そこで県庁への日参が始まったのです」
しかし、県庁を訪れた当初は、認可取得への見通しは決して明るくなかった。