「人有(あり)て、一枝の草、一把(にぎり)の土を持ちて、像を助け造らむと情(こころ)に願はば、恣(ほしいまま)に聴(ゆる)せ」。
もしも、誰かが、一枝の草や一握りの土を持ってきて、自分も大仏造立を手伝いたいと言ったならば、これを許せ、と言っている。
一枝の草、一握りの土。そんなものが何の役に立つだろうか。何の役にも立ちはしない。力もない。お金もない。でもみんなを幸せにする事業に自分も関わりたい。そういう人たちが現れてくれることを聖武天皇は願っていた。そういう人たちの力を結集して造らなければ、大仏を造る意味がない。聖武天皇はそう考えていたのである。
聖武天皇の時代は惨憺たる時代だった。政変、旱魃・飢饉、地震、病気。愛する幼子を亡くした聖武天皇に、次から次へ、毎年のように苦難が襲いかかった。天平9年(737)、聖武天皇は言った。「責めは予(われ)一人にあり」。自分の政治に問題があるからこのような災厄が起きるのだ。責任は私一人にある。
言うのは簡単。ではどうしたらいいのか。どうすれば人々は苦しみから逃れられるのか。その方法を求め、聖武天皇は精神的にも肉体的にも彷徨の日々を送ることになる。そうしてたどり着いたのが大仏を造ることだった。
大仏造立を決意した直接の契機は、天平12年(740)2月の出来事である。河内国(大阪府)の知識寺で大きな盧舎那仏を拝した聖武天皇は、これだと思った。知識とは仏教信者のこと。仏教のために何かをやろうとしている人たちのこと。そういう知識が力を合わせて造った寺が知識寺で、その本尊が盧舎那仏だった。大仏と同じく『華厳経』の教主である盧舎那仏を、人々は小さな力をたくさん集めることによって生み出していた。
では盧舎那仏とはどういう仏なのか。そして『華厳経』とはどういう経典なのか。
「盧舎那仏」は光の仏という意味。「華厳」とは世界を華で飾るという意味。さとりを求めて実践する菩薩たちのさまざまな行為が「華」となり、世界を美しく飾っていく。
では、菩薩とは何か。ここでは、さとりを求め、人々の幸せを願い、日々を過ごしている人と定義しておこう。そういう菩薩たちの実践が世界を美しく飾っていくのだという。
盧舎那仏が住む世界は蓮華蔵世界と呼ばれる。蓮華蔵世界は、盧舎那仏がまだ菩薩だった頃に、長い時間をかけ、みずからの実践によって美しく飾った世界である。その美しい世界を、今度は私たちが、私たちの実践によって、さらに美しく飾っていこうというのが『華厳経』の考え方である。
人間も、そのほかの動物も、植物も、命なき細かい塵さえもが、等しく尊いと『華厳経』は説いている。人間と塵を平等とみなす思想。私たちの常識や想像を越える究極の平等思想である。
『華厳経』によれば、盧舎那仏が住む蓮華蔵世界は、一切香水海という大海と、幾層にも重なる大地と風の渦に下支えされている。そして最下層に位置する風の渦の名は「平等」。「平等」に支えられた蓮華蔵世界は、あらゆる存在によって美しく飾られた、究極の平等世界なのである。
動物も植物もともに栄える世を願い、一枝の草や一握りの土をもって現れる人たちを待ち望む聖武天皇。その思いの背後に『華厳経』があることは明らかだろう。