青木 日本のファッションは、パリコレなんかでアヴァンギャルドだと受け入れられ、モテたんですね。面白いと思うのは、逆に言えば、そういうふうにしか出ていけなかったとも言える。その背景には、ヨーロッパ社会やアメリカ社会の上流社会の変容があるんです。これまでは伝統的な衣服を纏っていた人たちが、アヴァンギャルドを受け入れるような雰囲気。日本的なファッションが面白いと思えば、たまには着てみようとかね。だから、ある種大衆化したんですね。
バラカン そうそう。だから、本来パリコレといったらオートクチュールの世界なんですけど、徹底してプレタポルテのほうにシフトした(1)。プレタポルテにしては高級なものだったかもしれないけど、日本のファッションは、そういうふうに概念を変えるのに貢献したんじゃないかな。
―― 日本のファッションデザイン、服装がヨーロッパでも受け入れられつつある一方で、当の日本人はサラリーマンのスーツ姿のように、日常は洋服を着ているわけです。ことほどさように、日本人自身は日本文化を体現した生活をあまりしていない。そうすると、現代は日本文化の発信力が弱まっていってるんじゃないかという気がするんですが。
青木 やはり「混成文化」が日本の強さだと思います。日本には、古来からの神道や農耕文化を中心としたものはきちんと残っている。でも、インド、中国の影響をたっぷり受けながら、さらには近代に入って国家体制、宗教、文字に至るまで、西欧文化を受けてもいる。この三つが混ざるって、実は非常に難しいことなんです。中国や他のアジア諸国では、なかなかうまくいかない。日本の家庭では、おすしも食べれば中華も食べるし、朝はクロワッサンだし、そういうことをやっているわけです。グローバリゼーションの流れ中で、どこもいろいろな文化の影響を受けながら変わってきているわけですが、そのなかで、日本文化って折衷文化の強さというか、何かケロリとしている。これは非常に奇妙だけれども面白いですね。戦後の60年ぐらいの間に日本人がやってきたのは、そういううまいミックスです。オリジナルがないとか言われながらも、ミックスすることがオリジナル。日本の場合、宗教があまり強くないですから、ミックスしやすい土壌なのかもしれません。
バラカン 僕はここ6~7年、NHKワールドで「Begin Japanology」(2) という番組に出演しています。日本の伝統文化を色々な形で紹介するというものです。もともと、海外向けの番組ですから英語でつくっているんですけど、二次的に国内放送もしていて、よく日本人から、「あの番組は面白いね、ためになるし、知らないことばかりだ」と言われます。もう最近は慣れましたが、日本人の皆さんは、そんなに自分の国のことを知らないんだな、という実感がすごく湧いてきました。なぜ知らないかと言えば、学校でも教わっていないし、日常的にメディアからも伝わってこない。まじめくさって伝える必要はなくて、もっと娯楽風に工夫してでもいいから伝えることはできるはずなんですけどね。それがすごく残念だと思う。だから、ミックスになるのは構わないんだけど、“日本”としての部分がどんどん薄れてくるのは非常に残念です。
―― 背骨は背骨としてきちんと残っていたほうがよい、と。
青木 そうですね。特にバラカンさんが「Begin Japanology」で紹介しておられるような日本の伝統文化は、一般の日本人にとってはほとんど未知の世界になってしまうね。
バラカン 実際そうなってきましたね。
パリ・コレは元来オートクチュール・コレクションであったが、60年代に始まったプレタポルテ・コレクションがいまや主流である。
<第3回につづく>