2024年5月1日(水)

【特別対談】日本のソフトパワーを考える(全4回)

2009年10月8日

バラカン ええ、似ているところがありますね。
80年代に入って日本は著しく変わりました。工業製品のデザインの良さも、80年ぐらいを境に、まるっきり別世界です。そう思いません?

青木 そうですね。いわゆるバブル経済的な日本の高度成長は、80年代にピークを迎えていますから。

バラカン 西欧的な感覚で言えば、日本の普通の家電なんかは、80年ぐらいを境にみんなかっこよくなっちゃった。

青木 そう。それまでは “いいもの”をつくればよかった。“いいもの”っていうのは、壊れないもののことです。でも80年代に入って、デザインを重視するようになる。トヨタがイタリア人のカーデザイナーなんかを採用するのだって80年代以降ですよね。だから、トヨタの車もかっこよくなってきて、レクサスみたいのができた。

―― 日本企業が海外市場に出ていくために、アメリカ、ヨーロッパに受けるものをつくっていこうという考えにシフトし始めたのでしょうか。

バラカン そうだと思います。70年代まではいいものは外から輸入する。80年代は、逆にそれに負けないものを国内でつくって出そうじゃないかという発想に変わっていったという、そういう印象を受けましたね。

青木 もう一つは、それまでは日本の輸出車というのは小型車ばかりだった。小型車で性能が良くて、壊れない。でも小型車だけでやっていると、利幅が薄い。それでトヨタなどもいろいろな高級車をつくるようになるんです。そのときにデザインの問題が出てきました。それで北米市場もヨーロッパ市場も飛躍的に売上げが伸びたんですよ。

バラカン レンタカーから変わっていきましたね。アメリカのレンタカー市場は大きいけど、ほとんど日本車になりました。

―― 車、家電製品のような工業製品が、「日本製のものはかっこいいね」と受け入れられたことも、日本の文化を外国で受け取ってもらえることにつながっていくんでしょうか?

バラカン デザインセンスがいいと、その国のイメージが良くなることは間違いない。だから、今ヨーロッパ、アメリカ、東南アジアあたりで日本にあこがれをもつ若者が多いのは、やはり日本のデザインが大きな役割を果たしたんじゃないかという気がしますね。

青木 70年代ぐらいから、三宅一生のような日本のファッションデザイナーが世界に出るようになった。彼らが活躍した80年代、90年代と、日本の家電や自動車のデザインが良くなってきたのは大体一緒の時期です。

バラカン 80年代の日本の家電は、あまり色を使っていないですね。黒、グレーとかメタル仕上げとか。ファッションも同じで、三宅一生、川久保玲、山本耀司にしても、あの時期国際的に高く評価された3人のデザイナーの共通点は、モノトーンが多いこと。それから、とくに初期はだぼっとしたラインのデザインで、着物の要素をかなり強く取り入れていた。日本にしかあり得ない個性を打ち出していました。要するにヨーロッパのデザイナーと全く同じものをつくっていれば、あそこまで注目されなかったと思います。

 自意識過剰になって日本的なものをつくる必要はないんですけど、自然と日本人でなければ持ち得ない感覚が出ていたことは、良かったんでしょうね。


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