そんな彼が一度だけ、学生運動を推進している学生自治会のハンストに参加したそうです。そのころをよく知る友人によると、「学生みんなで決めたストライキのために、自治会委員長が停学処分を受けた。思想哲学は合わないが、トップだけに責任を負わせるのはけしからん、そういう処分を下した大学当局に反対するストならな参加する」ということだったそうです。
大学では合気道部に所属し、4年生では主将を務め、とても強かったそうです。
「上には上がある」を悟る幸せ
私は、1998年から2000年まで金融監督庁(現・金融庁)の顧問[企業会計の専門家として]を務めました(その頃のエピソードも、前掲書『気持ちよく働く ちょっとした極意』に書いています※)。
※・・・1998年5月、一本の電話がかかってきた。「今度、大蔵省から独立してできる金融監督庁の設立準備事務室の五味廣文(のちの金融庁長官)と申します。いますぐ伺いたいのですが、お時間はいかがですか」
信越化学工業は東京国税局の税務調査を受けている真っ只中。私は超多忙だったが、「10分15分で結構ですから」と押し切られ、面会に臨んだ。すると「金融監督庁の顧問に金児さんが推挙されました。お引き受けいただけますか」という。「企業会計」の実務の専門家として、信越化学とは関係なく、個人の資格で就任してほしいと言われた。「ここに来る直前に、橋本龍太郎首相と梶山静六幹事長の了解を得てきました」と告げられ、さらに仰天した。
個人の資格とはいっても、会社の了解なしに引き受けるわけにはいかない。話を聞いた金川千尋社長は、いつも決まって私を叱るが、今回も「会社の仕事を全くやっていないのに、よくそんな話が来るなあ」とお叱りを受けた。それでもニコニコしたお顔の了解はいただいた。
――『気持ちよく働く ちょっとした極意』(金児昭著、日本経済新聞出版社)p97
私は、信越化学という一つの企業で、「経理・財務」の仕事だけをたたき上げでやってきた人間です。そんな人間に天下国家を論じる力はありません。金融監督庁の顧問なんてとてもできないと思いましたが、そのとき思い出したのが下君のことでした。
貧しい家庭に生まれ、一所懸命努力をして、人並み外れた人格・識見・学力で、国家のために奉仕しようと農林省に入った下君は、活躍を嘱望されながら若くして亡くなりました。自分は下君に比べれば1000分の1くらいの力しかないけれども、下君の無念を思い、下君にペコペコして、自分にできることを一生懸命頑張ろうと思いました。
亀井君も、金融大臣になって、きっと下君のことを思い出して仕事をしているのではないかと思います。もし下君が生きていたら、きっと、亀井君の活躍を喜びつつ、ただ一点、こう言うのではないかと思います。「同窓の人間からあえて言わせてもらえば、彼は自分の周囲の人たちのことを優先して考える傾向があるような気がするので、ぜひ、大きく国民全体のことを常に考えてもらいたいと思う」。
「上には上がある」――そう思わせてくれる人たちに出会えることは、本当に幸せなことだと、73歳になったいま、私はつくづく思います。
【修正履歴】
・下壮而さんの著作『現代経済の透視―現代資本主義論ノート』の画像を差し替えました(2009.10.20)
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