コミュニティーをつなぐボランティア
Shogoさんは震災ボランティアをするようになって、仕事の面でも変化が起きたという。「それまではいい写真を撮りたいとか、いい仕事をしたいって思っていました。それが『人のためになりたい』と思うようになりました。石巻の人たちが『見たよー』って自分のことのように喜んでくれるんですよね。見る人に届くものをっていうことも意識するようになって、人のために仕事がしたいと思うようにもなりました」
そんなShogoさんが結婚したのは2012年のこと。「現地の方で、家族をなくしているくしてる方もいっぱいおられて、僕はたまたま震災じゃないところにいて。何が一番大事かって考えさせられて、結婚を決断するのも早かったですね」
『東京には行けないので、石巻で結婚式をしよう』と考えたのは佐藤さんだった。「色んなことをしてくれたShogo君に少しでもお返しになればと思いました。私たちは一瞬で全てを失う経験をしたので、『新しく始めたり、増えていくこと。家族が誕生すること』って当たり前のことが余計に嬉しいんですね。みんなが元気になれることがありがたいんです」
当時、石巻市の湊町という地域には、津波の被害後、あまり人が戻ってきていなかった。Shogoさんたちが戻る週末は賑やかだけど、平日は静かなものだという。『震災でバラバラになった近所の人たちが集まる機会を作るためにお祭りをして欲しい』と言われたShogoさんに用意されていたのは、ウェディングドレスとティアラだった。サプライズの結婚式が待ち受けていたのだ。
「佐藤さんたちは、『お返ししたい』とずっと言ってくれてて。ボランティアに行くと毎回寄るんですが、ケーキとかごはんとかいっぱい出してくれて。もう親戚とか家族みたいなものですね。佐藤さんは湊町でのつながりがそれまではあまり強くなかったようなんですが、たまたま僕らが残った人たちのコミュニティーをつなぐ役になることができたんです」。延べ1000名がボランティアとして活動したというヤマユ佐勇水産だが、Shogoさんは佐藤さん夫妻にとって、特別な存在となった。
クラウドファンディングで金華山の復興を
2011年4月から毎月ボランティアを宮城県でしているShogoさんとともに、被災地に対して心が動いたメンバーが1年で80名ほどになり、チームに名前を付けることになった。「現地に足を運ぶことやボランティア活動を、東京でしていることやできることと同じように当たり前だと思い、何の気負いもなくやり続けているメンバーのテンションが好きで名付けました。ペンを手にして『これはペンです』って言ってるくらい当たり前の感じ」という意味を込めたボランティアチームの名前は、『This is a Pen』である。