2024年6月17日(月)

この熱き人々

2016年2月19日

 「本当に昔もこういう売り声だったんですかってよく聞かれます。いえ、アタシが自分で作ったんですよ、でも先人ときっと変わらないと思いますって答えます。昭和にまで残っていて実際に耳にした売り声がけっこうあって、それらを徹底的に身につけていくと、だんだんこういう発声に違いないって何となくわかってくるんですわ。文字がだんだん音になっていくというのかな。耳に心地よく響かなければ人は集まってこない。人が集まらなければ物が売れない。懸命に考えますよね」

 ほとんど自らが江戸の物売りになったつもりで記された文字を眺める。やがて、売っているものがイメージできない売り声はありえないという結論に達する。

 「たとえば、竿竹売りや雨どいの樋竹(といだけ)売りは、『竹やぁ~~~竿竹ぇ~ 竹やぁ~~樋竹ぇ~~』って長~い感じが出ているし、青梅売りは『青梅やぁー、かりかりっ』と硬さを表している。そうやって探り当てていくのは面白いね」

 往来にひっきりなしに現れる物売りの声を探っていくと、そこから江戸の暮らしぶりも見えてくる。ものを売る声ばかりではなく、修繕する声や買う声も交じる。傘ひとつとっても、骨が折れれば直す声を求め、いよいよ使えなくなると買い取ってくれる古骨買いという古傘を買う声を待つ。

 「古骨買いが買った古傘は骨と油紙の部分に分けられ、骨は再び傘買いに売って浪人の傘張り内職の材料に、傘に再生できないものは凧を作る人の手に。油紙はももんじ屋(獣肉屋)が買って包み紙に使うって具合で、使える限りは絶対に捨てないんですから。カマドに残った灰や、受け皿に溶けた蝋燭も買いに来て再生産したり、肥料や染物屋に売ったり。まさに究極のエコを自然に実践していたんですよねえ」

 宮田の芸には、そんな江戸の暮らしが巧みに導入され、笑いの中に現在の使い捨てでもののあふれた生活空間を浮かび上がらせる。

きっかけは浅草から

 宮田が生まれたのは昭和8年。気っ風(きっぷ)のいい江戸の庶民の姿が最後まで残っていただろうと思われる東京の下町、足立区の千住中居町。家は魚屋だった。じっと江戸の音をさぐっていく宮田の原点には、江戸の町につながる下町の風情や、まだものを大事にしていた暮らしぶりの尻尾が確かに残っていた。

 納豆売りもアサリ売りもやって来た。金魚売りが来ると、子どもがその後をゾロゾロとついて歩いていた時代。テレビもなければゲームもないから、子どもたちは遊びのタネを自分で探して夢中になっていた。


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