もし宮田が江戸の町にワープしたら、何を売りたいと思っているのだろうか。
「アタシャねえ、葉唐辛子を売りたいの」
間髪を入れずに答えが返ってきた。
「『はっとんがらしやーい はっとんがらしや』と短い売り声が調子がよくて、アタシャ大好きなんですよ」
大きなザルに葉唐辛子を山盛りにして天秤棒を担ぐ宮田は、どんな装束を身につけているのだろう。町中のイベントなどでは、文献で調べた当時のどんぶり半纏(はんてん)に股引(ももひき)姿などで登場することもあるというが、寄席や演芸ホールでは着物姿。
「これは三笑亭夢楽(さんしょうていむらく)師匠の形見の着物。アタシの舞台の着物はだいたいがいただいた女物の古着を仕立て直したものなんですよ。女物は幅が狭いので袖を船底型に工夫してね」
まさにかつてのエコ精神をまとっての売り声の芸ということだ。
「物売りはいなくなっても物売りの言葉ってけっこう今も使われているんですよ。『二束三文』は草履屋が上物じゃないのを二足三文で売ってたから。『タガが外れる』は桶屋から。『油売ってる』って言うでしょ。あれは、油売りはゆっくりたらしながら売るから時間がかかる。その間に客と世間話なんかしてる様子がサボってるように見えたんだね」
物売りの存在は確かに言葉にその名残を残している。物売りのいた時代の暮らしぶりは消えていたが、『MOTTAINAI』という言葉になって外国経由で少し戻りつつあるのだろうか。では、せっかく生み出した宮田の売り声の芸はこの先残っていけるだろうか。
「漫才の弟子はいるんですけど、物売りの声はなかなかねえ。やはり若い人たちは時代背景が感じ取れないからねえ……」
語尾がいささか細っている。こればっかりは、お後がよろしいようでと次の演者にバトンタッチして楽屋に引っ込むことができないようだ。
「なあに、まだ82歳。一昨年、心筋梗塞で一度倒れましたが、ステント※で蘇りましたから、まだまだがんばりますよ」
再び威勢のいい言葉で締めくくって、堂々と旨そうに煙草をくゆらした。
※詰まった冠動脈を広げ血流を回復させる治療に用いられる網目状の金属性の筒
(写真:岡本隆史)
宮田章司(みやた・しょうじ)
1933年、東京都生まれ。漫才師宮田洋容の門下生となり、55年、宮田陽司と「陽司・章司」のコンビ名で漫才デビュー。歌手専属の司会者などを経て、現在、江戸売り声漫談家として寄席の舞台を中心に活躍中。売り声のレパートリーは200を超える。
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。