「時間が経つのが、めっちゃ早い。あと、こんなにも体が疲れないもんなんやと、しみじみ思う。痛かったところがどんどん治っていくわ」
まっすぐに並んだ白い歯を見せて、豪快に笑う。
18歳でプロ入りして以降23年間、野球のない1年など考えられなかった。生活には常に野球があったし、野球はそのまま生活の一部だった。
中村紀洋。1992年、近鉄バファローズから始まったプロ野球人生は、メジャーリーグ、マイナーリーグ、日本での育成選手、FA移籍、戦力外通告、野球浪人を経て、横浜で一旦の区切りを迎えた。まだ、引退を宣言していない。42歳を迎えた今なお、「現役」である。
1973年生まれ。大阪市出身。
PL学園をはじめ強豪校からの誘いがあったものの「3年間試合に出て、プロのスカウトに見てもらいたい」という理由から府立・渋谷高校に進学し、甲子園にも出場。91年ドラフト4位で近鉄バファローズに入団。2000年には本塁打王、打点王に輝き、翌01年にはリーグ優勝、2年連続打点王に輝く。その後はロサンゼルス・ドジャース、オリックス・バファローズ、中日ドラゴンズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、横浜DeNAベイスターズとチームを転々した。現在は兵庫県西宮市で野球教室「N's Method」を運営している。
「ただ、例えば次のキャンプに呼ばれたとしても、それに行くかどうかはまた別の話。今は野球やトレーニングを教えている生徒さんもおる。その子らをプロ野球選手やメジャーリーガーにするのが夢で、彼らをほっとくわけにはいかんからね」
現在、兵庫県西宮市で少年少女の野球技術向上や、一般人の体力向上を目的とした野球教室「N's Method」を主宰している。2000本安打、400本塁打を達成した名球会の一員として、その卓越した野球技術を後世に伝えている。中村のいう「現役」というのは、現役選手としてグラウンドに立つことだけではない。
中村の代名詞─それは、ホームラン。ピッチャーに真っ直ぐ正対し、白いバットを垂らす。大きく足を上げ、豪快に振り抜く。高々と放り投げられたバットの先には、大観衆の中を切り裂くようにボールが飛んでいく。その美しい放物線に、私を含む多くの野球少年が心酔した。中村自身は、高校入学前の練習で、ホームランと出会った。
「カーブマシンを打ってたときのこと、ボールが同じタイミングで出てくるから、こっちも特にタイミングとらんと、足を思いっきり上げて打った。そしたら、打球は全部場外。全体重がボールに乗る感覚やね。こんな簡単にボールって飛ぶんかと思った」
中学時代、記憶している範囲でも、通算ホームランは2本。ホームランとは縁遠く、むしろ守備の方が得意であった。それが、この入学前のバッティング練習でホームランと出会い、野球人生が大きく転換していく。
「先輩から、『なんやコイツ』と言われたのが気持ち良かった。そうか、ホームラン打ったら注目されんねや、と」