2024年12月23日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2016年6月12日

 それから宿に戻ろうと歩いていると髪の長い欧米系青年が前からやってきた。フィフィは飛んで行って彼にハグした。彼女が探していた仏人らしい。私はこの仏人の顔に見覚えがあった。スマトラからのフェリーボートで賭けポーカーをやって派手に騒いだり、欧米系女子とデッキで激しいラブシーンを演じていたからだ。フィフィが惚れ込んでいたのはそんな手合いであった。

インドネシア、北部スマトラのトバ湖畔のアラフォー中国女子エミー

トバ湖畔にてアラフォー中国女子エミーと東洋系オジサン

 2015年3月 トバ湖畔のコテージ風のゲストハウスのオープンテラスに夕食後中年の欧米人が集って賑やかに歓談していた。一人の中国女性がいたが違和感なく英語で談笑していた。ジョーク交じりの大勢での談笑は私のように30歳近くで英会話学習をスタートした人間にはほとんど意味不明である。単語が聞き取れないのだ。中国女性には欧米社会での生活経験があると推測した。

 欧米人たちが部屋に引き上げると二人だけになった。彼女は私の経歴を知って資産運用について基礎的な事柄を聞いてきた。彼女は英名エミー、上海出身、大学で経営学を専攻。日系大手電機会社の現地法人で長らく勤務。その後、ニューヨークで暮らしていたようだ。明言を避けたが米国人と結婚して離婚したようだが子供はいない。結果的には米国の永住権、米国パスポート、慰謝料を得た。その慰謝料と日系大手電機会社勤務で貯めたお金の資産運用を証券マンに任せていたが運用成績が芳しくない模様。彼女は両親の反対を押し切って米国に行ったので今更中国には戻れないという。米国での生活も嫌になったのでアジアを旅行しているが特に目的もなく彷徨っているという。

 エミーの話を整理すると若い時に米国移住の目的ために米国人と結婚(あるいは偽装結婚だったのか)したが当然のごとく結婚生活は破綻。しかし当初の目的である米国永住権と米国パスポートは手に入れた。昔夢見た自由な海外旅行(中国パスポートでは不可能な)をしているが心は満たされない。手持ちの資産も心もとない。そんな気持ちを私に吐露した。

黄昏時のメコン川」

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