Q.はじめ塾での生活は通常の学校生活とは大きく異なりますが、違和感を覚えることはなかったのでしょうか。
入塾当初は「こういう生活もあるんだ」と少々驚きも覚えました。しかし、中学生、高校生と年を経て、面倒を見られる側から小中学生の面倒を見る側になるにつれ、感じることも考え方も変わっていったように思います。
中学生の頃は野球部に所属し部活動に打ち込みましたが、中学2年のときに母が亡くなりました。以来、重宏先生夫妻が「ここを家と思って来なさい」と声をかけてくれたこともあり、学習会以外の時間も塾で過ごす時間が増えました。
また塾の合宿を通じては、体が大きかったために重い丸太や石を運んだり、難しい作業や力作業を任されましたが、過酷な肉体労働をする中で、力を出し切ることの楽しさ、力を出し切った後の喜びを知りました。山の寮での野性的かつ文化的でない生活は自分に合っていたんだと思います。
塾通し抱いた社会への義憤
Q.学校の友達をはじめ塾に誘うことはなかったのでしょうか。
当時は小・中学生それぞれ30~40人ほどが在籍していました。合宿の際の学習指導は十数人の大学生が担った他、社会人の方もいました。異なる年齢層と触れ合える環境であり、塾の中での出会いには恵まれていました。
はじめ塾では地球の砂漠化や、地球温暖化といった地球環境のことから、エリート教育の弊害など、中学生の頃から社会の在り方についての話題を当たり前のように聞かされてきました。一方、中学校で親しくしていた友人とはそのような話はしませんでした。
高校生のときには「君は21世紀を作れるか」というテーマで、自然農法実践者や教育者など、様々な分野の方々が議論する会議が催され、そのスタッフとして私を含めた塾生が働いたことがあります。その際はじめ塾以外の友人にパンフレットを見せましたが、理解してもらえませんでした。
Q.塾は加藤さんを含めた塾生にとって、自分の興味や関心がどのような事象にあるのかということを知るきっかけになっているということでしょうか。
塾には各分野に精通した色々な方が(講師として)来ていたので、意欲ある生徒にとっては出会いの場としてとても恵まれていました。私自身は塾を通して様々な人と知り合い刺激を受けたことで、社会に対する義憤を覚え、社会的な課題をどう捉え解決するかという問題意識を抱きました。私以外にも政治家になった卒業生はいます。