大学を卒業しコンサルタント会社に入社した後、仕事を辞めて小田原に戻ってきました。コンサルの仕事は大規模開発から経営戦略まで様々ですが、その中で私が関心を持ったのは地域や自治体の運営でした。当時は細川護熙さんが日本新党を立ち上げた頃であり、これに触発され、地域や公共の世界で仕事をすることに関心を持ちました。
またコンサルが収益の世界であるのに対し、はじめ塾は数字で測れない世界です。塾での体験を通じ、多様な「いのち」がある中で皆が支え合っていく社会が望ましく、心地よいものであるということを感じ、結果的に今の仕事につながっていったのです。
Q.昨今日本の学校教育では大人が学校側に子どもの教育や学校生活の全てを丸投げし、責任を学校側へと押し付けているように感じます。一方、はじめ塾は大人が塾に様々な形で関わっており、それが円滑な塾生活を成り立たせているのではないでしょうか。
塾を通じては母親や父親、大人自身も学んでいます。それぞれが塾に関わっていくということに意義があり、預ける側、預けられる側、といった認識は双方が抱いていません。そうでなければ80年も続けてこられなかったでしょう。
小田原市の政策にも活きる塾の学び
大人の側にも親として、また現役を終えた人としてどのように生きていくのか、といった学びがありました。子どもを教え育てるという核の外縁に生活を基盤とした様々な学びがありました。
Q.はじめ塾の教えは市長としての政策にも活きているのでしょうか。
小田原では“協働”という取り組みを推進しており、高齢者や子どもを地域でどう見守っていくか、あるいは生ごみを堆肥へと戻し、さらには緑に変えていくには、といった様々な取り組みを行っていますが、これらは全て「いのちを大切にする」という概念に基づいています。
小田原の政策のうち最も重要視しているのは「いのちを大切にする小田原」というものです。多くの市民はこれを医療や福祉の充実といった言葉に読み替えていますが、私はより大きな概念として捉えています。生きとし生けるものが共存する地域の在り方や、地域の中でお互いが支え合っていこうという気持ち、また人は必ずそのような方向に向かっていく、という人に対する信頼など多くの意味が込められています。