対談

2016年6月21日

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久松:助手をやらせておくと「助手作業のプロ」しか育たないという話がありましたけど、たとえばある工程で120点を取れる人よりも、まんべんなく60点取れる人のほうが独立には向いている場合もありますよね。

左藤:ありますね。

久松:その能力には技術以外の部分、たとえば宣伝や交渉のようなものも含まれるのかな。左藤さんと独立できなかった人との違いは何だと思いますか?

左藤:うーん、買い物が好きだったことですかね。ガラスが好きでも、商品としては見ていない作家は多いんです。とくに専門学校で学んだ人は周りと同じ価値観になりやすいから、業界内でしか評価されない高度な技術で作りたがる傾向があるんです。

 僕が作りたいのは、自分でも買いたいものです。昔からガラスも陶器も好きで買っていましたし、買い物全般が好きなんです。買う人の気持ちも多少はわかるから、お店で迷った末に買うという行動がなんとなくシミュレートできる。だからこそ、ほかと差別化するのも好きなんでしょうね。

久松:技術的に仲間から褒められるようなものを作っても、商売としては続かないことがあるんですか?

左藤:むしろ褒められるようなものを作ったらダメだと思うんです。

久松:なるほど、そう言い切れるのはすごいですね。でも、納得できる話です。

 僕は左藤さんのように消費者視点を持って農業を始めたわけじゃなくて、「農のある暮らし」に憧れたクチですけど、だんだん農業から野菜そのものへと興味が移ったような気がします。今、ウチに「働きたい」と言ってくる若い人のほとんどは独立志向で、みんな農業には憧れているけど、本当に野菜が好きなのかなと思うことがあるんですよね。

 僕の場合、隣県で原発事故があってお客さんがどんどん離れていった経験は、農業が好きなことの根本が問われる契機だったんです。この仕事をしていると、そういう場面が何年かおきに訪れる。農「業」への憧れや、「この業界でうまいことやってやろう」くらいだと、それを乗り越えられなかった気がする。

 極論を言えば善悪を超えたところで、自分のお客さんの目を見て「どうなるかはわかりません。でも買ってください」と言えるかどうかだと思うんですよね。そのためには買う側としても作り手としても野菜を愛でるような気持ちが必要だと思うんです。とはいえ、愛しすぎてもダメですけどね。長年続けていける人には、素直な受け手のような感覚も失われずにあるように思います。

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