2024年4月24日(水)

WEDGE REPORT

2016年7月26日

何年も前から“排除リスト”を準備

 なぜ今回、クーデターが仕掛けられたのか、その動機や背景についてはなお不明な部分が多い。しかし確実に言えることは、トルコの支配権をめぐるエルドアン派とギュレン派による権力闘争がこうした形で噴出したということだ。

 反乱派の直接の動機として伝えられているのは、8月の軍人事でギュレン派将校600人が要職から外されることになっており、この前に先制攻撃を仕掛けたというものだ。情報機関が最近、ギュレン派の数万人に上る氏名と個人識別番号を入手したのがきっかけだ。

 イスラム指導者ギュレン師の主張は過激派「イスラム国」(IS)のように過激なものではない。その主張は「愛と寛容、平和」を目指す穏健なイスラムの教えだ。同師の影響力は「ギュレン運動」として、全世界に及ぶ。具体的には世界100カ国以上に学校や病院が造られ、米国だけでも150の学校がある。日本にも学校が開設されている。

 ギュレン師は熱狂的な信奉者にとっては単なる宗教指導者ではない。同師は救世主「マハディ」であり、「夢の中で預言者ムハンマドから指示を受けている」と信じられている。

 その影響力の一番大きいのはトルコ国内だ。軍や警察、司法組織、公館庁などに多くの信奉者がいる。エルドアン政権は非常事態宣言後に発表した最初の政令で、ギュレン派の私立学校1043校、慈善団体など1229組織、医療機関35施設を閉鎖した。

 エルドアン氏が権力を掌握した2002年当初、最大の政敵であった世俗主義者の排除を進めたが、この時、同じイスラム主義者の「ギュレン運動」を役立つ勢力としてみなし、同盟を組んだ。両者は2007年、軍や警察の世俗派狩りを開始した。両者は証拠のでっち上げなども厭わなかったという。

 ギュレン派が世俗派狩りに熱を上げたのは、国家機関などで世俗派に取って代わろうとしたためだった。2012年までに旧来の世俗派は役所などから一掃された。しかし2013年、両者の反目が表面化する。ギュレン派の警察と検察が政府当局者の汚職の捜査を開始したからだ。

 この捜査の対象にはエルドアン氏の息子も含まれていた。同氏はギュレン派の動きを「クーデターの試み」と非難、両派の対立は決定的となった。「トルコで2番目の権力者」と呼ばれたギュレン師は1999年に病気療養のためもあって渡米。現在はペンシルベニア州のポコノ山中に閉じこもっている。

 エルドアン氏は2014年、政府転覆を企てたとしてギュレン師の逮捕状を取ったが、軍や国家、政府機関からギュレン派を一掃するため、数年かけて疑わしい軍人や官僚のリストを作成、徐々に排除していく準備を進めていた。政権がクーデター未遂後にギュレン派の拘束や解任を迅速に進めることができているのはこのためである。


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