2024年4月24日(水)

科学で斬るスポーツ

2016年8月19日

メンタルもより強く柔軟に
50歳のプレー目指して

 イチローの身体感は、あくなき準備の原動力となり、42歳という年齢に見合わない身体能力の高さを維持させている。経験の蓄積に伴う「感覚」を重視している。

 小田教授は「周りがどう騒ごうと、例え20打席ヒットを打っていなくても、感覚が狂っていなければやるべきことをコツコツやるだけということだろう」と語る。

 オリックス時代の同期入団した田口壮氏(現在オリックス二軍監督)は、イチローの精神的な強さについて「ヒットが打てなくても7割は凡打することを受け止め、失敗するものと、すぐに切り替えられる」と語る。

 イチローの精神的な成長を指摘する声も多い。3000安打を達成した時、イチローが目に涙を浮かべながら、「3000という数字よりも、僕が何かをすることで、僕以外の人達が喜んでくれることが、今の僕にとって何よりも大事なことを、再認識した瞬間でした」と語ったのは、本心からにじみ出た言葉だろう。

 「野球しかできない子」(父の鈴木宣之さん)は、今、マーリンズで若い選手の模範として精神的にも技術的にも頼れる存在となっている。

 注目を浴びすぎたマリナーズ時代は、チームのほかの選手から嫉妬され孤立。「感情を殺すこと」を避けられなかった。しかし、それがどうだろう。今は、若手に対し笑顔を振りまく姿が目立つようになってきた。今、心から野球を楽しんでいる時間を送っている。

 移ろいゆく自分の身体と向き合ったのも、精神的安定性を確保するのに多いに役立った。失敗を恐れぬ試行錯誤を繰り返し、悟りに近い境地に達したのだろうが、本人は「まだまだ」と言うかもしれない。

 3000安打を達成した後の記者会見で、イチローはオリックス時代の恩師、仰木彬監督(2005年没)に感謝の意を表した。

 「3000(安打目)を打ってから思い出したことは、このきっかけをつくってくれた仰木監督ですね。神戸で2000年の秋に、これはお酒の力を借りてですね、僕が口説いたんですけど、その仰木さんの決断がなければ、なにも始まらなかった。そのことが頭に浮かびました」

 頑固な打法にこだわるイチローの振り子打法を認め、レギュラーに起用。7年連続の首位打者につながった。さらにポスティングシステムを使ってのメジャー移籍を許した。イチローら日本人選手が活躍するきっかけを作った野茂英雄を育てたのも仰木さんだった。こうした名伯楽の存在もイチローの大偉業の影にあることを忘れてならないだろう。

 ここに来て、50歳までプレーを望む声がでている。しかし、それができるか。それは分からない。しかし、怪我をしないため、ヘッドスライディングはしない、背筋は伸ばすなど身体と向き合うイチローにとって8年後は重要ではない。大切なのは明日ヒットを打つことにある。そのヒットの積み重ねの向こう側に前人未踏の領域でプレーするイチローがいる。同時代に生きているものとして見守りたい。

  
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