したたか者の流儀

2016年9月9日

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 かなり昔、欧州でのことだが、真向かいに住んでいたアフリカからの留学生と親しくなった。かれは妻帯者だったので、学食でもなく、教室でもなく、大学の中にあった映画館で遭遇した。大学キャンパスが街になっていてシネコンがあったのだ。週に四日は映画館に来ていた。同好の士とわかり夜半に帰り際、口をきくようになった。モブツが大統領だった国からの留学生だそうだ。専門は演劇で歌舞伎も詳しい。なぜ歌舞伎を学んでいるのか聞くと、答えに魂消た。法律とか経済とかを勉強すると危険人物と見なされる可能性があるそうだ。

アフリカに関わった時間の違い

 そんなアフリカも、今は地球最後のフロンティアだ。その昔、命知らずの青年、リビングストンやスタンレーもいまだに名を残している。古代エジプト文明は別格としても中央アフリカにも文化があった。黄金の国ジパングというマルコポーロの東方見聞録がヨーロッパ人の冒険心をかき立てたように、中世、中央アフリカのマリの都トンブクトゥはかなり栄えていたそうだ。現在はパリダカールラリーの中継地として名を留めているが、トンブクトゥはヨーロッパ人にとっては、日本の金閣寺にあたる。以来、伝導や富を求めてアフリカ探検はすすんだ。

 賢者リビングストンが行方不明となり、ややならず者のスタンレーが発見、二人の探検家は図らずもアフリカの奥地で邂逅している。そのとき、スタンレーが発した言葉「もしやリビングストン博士では?」は、英国で流行り言葉になるほど注目されていたことになる。フォーサイスの『戦争犬たち』や、映画『ワイルド・ギース』がすべて本当とは思わないが、アフリカ人、ヨーロッパ人、キューバ兵まで含めて血で血を洗う戦いが繰り広げられた場所でもある。バチカンやイスラムの宗教伝導の不屈さや、ビクトリア女王やベルギーのレオポルド一世のような無尽蔵の資金を提供するパトロンと冒険者たちが跋扈していた場所だ。  

 日本として国連の常任理事に推薦してほしいし、プレゼンスもあげたいのはわかる。しかし、アフリカには比較的長いとされるオランダにしたところで、残した物は唯一 “アパルトヘイト”という言葉だけだという話もある。ノーベル賞の大村先生が新発見でアフリカに良いことをしたと聞いている。そんなことを積み上げることだろう。西欧諸国より500年は遅れているのだから。

 もう一つの方法は、いわゆるFANG型(FB、アマゾン、Netflix 、Google)のビジネスで出張る方法もあるが、そのビジネスは日本の弱点でもある。

  
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