養殖ウナギはオスばかりという指摘
野暮を承知で動画の意図を説明すれば、下記のようなことになるだろう。
少女にスクール水着を着せたのは、スクール水着の質感がウナギの皮膚と似ていたから。「養って」は「養殖」から連想した言葉。フラフープをするのはウナギのくねくねした動きの再現、手がぬめってペットボトルをつかめない様子を強調するのはウナギであることの伏線。「家」やごはんのくだりは、専用の飼育水槽や餌料を開発するほど、養殖ウナギプロジェクトに力を入れてきたことを表現しているのだろうし、長いホースは、わざわざ天然の地下水を引いてきたことを言いたいのだろう。最後に出てくる少女がメインの少女よりさらに幼く見えるのは「稚魚」だから。
しかし、ここまで細部にこだわったなら、なぜ肝心のウナギを「少女」にしたのだろう。ネット上では養殖ウナギは大半がオスだという指摘が相次いでいるが、静岡県水産技術研究所のサイトによれば、養殖ウナギがオスばかりというのは事実だという。擬人化する際に「少年」ではなく、わざわざ「少女」にしたのは、そのほうが「絵になる」という判断があったのではないか。もしくは、志布志市の養殖ウナギは他と違いメスが多いのだろうか。
さらに穿った見方をすれば、「養って」と少女に言わせ、「僕」が少女を飼うという図式に「面白み」「斬新さ」があると制作側が判断したのだろう。奇を衒うのであれば、ウェットスーツを着た中年の男女がプールから現れ「養って」と言う方が視聴者を戸惑わせるのではないかと思う。稚魚から育てるという性質上、中年ではダメなのかもしれないが、オスの多い養殖ウナギを少女にするのであれば、それぐらいアリではないか。中年を最後は「食べる」ことは気持ち悪いのだろうか? いや、中年は気持ち悪くて子どもならいいというのは変態的だ。
少女にしろ少年にしろ、年少者が媚びた様子で「養って」と口にするのは、大人がそれを言うのとは違い、冗談になりづらい。何が笑いになり、何が笑いにならないかは個人的な感覚の差が大きいが、年少者を「社会的弱者」と理解している人であれば、この「養って」に不穏な空気を感じるだろう。
しかも、「養って」と言った少女を結局はかば焼きにして食べるのである。「気持ち悪い」という拒否反応を示す人がいて当然だ。これが人間の業を表現するアートなら面白いかもしれないが、うなぎという食べる特産品をPRするCMとして適切とは到底思えない。