2024年11月22日(金)

ベストセラーで読むアメリカ

2010年2月25日

 父ジョセフ・P・ケネディは1938年にはルーズベルト大統領から駐英国の大使に任命され、幼いエドワードも家族と一緒にロンドンに移り住み、英国王らに謁見した思い出なども記す。アメリカが第2次世界大戦に参戦することに反対だった父ケネディは、ルーズベルト大統領と意見が合わず結局、1940年に大使を辞任する。その後、父ケネディが公職に就くことはなかったという。いずれにせよ、ケネディ家から大統領が生まれたのも、こうした、父親の資財と社会的な地位があったからだろう。

 大学時代の思い出として、ジョージ・ブッシュ前大統領の祖父で上院議員だったプレスコット・ブッシュに触れるくだりを読むと、日本もアメリカも議員の実質的な世襲が珍しくない点は似ているとの思いを強くする。

 ハーバード大学でのスペイン語の試験で替え玉受験したことが発覚し停学処分となったことや、自動車事故で同乗者の女性を死なせて事故現場から逃げた過去など、メディアから幾度となく攻撃されてきた不祥事にも触れながらも、民主党リベラル派の代表格として、人種差別や医療保険などさまざまな社会問題に取り組んできた政治家としての歩みを丁寧に語る。2人の兄の暗殺についての言及も最小限に抑えている。特に、自分自身の息子が幼くしてがん治療のために片脚を切断する手術をした経緯を語り、医療保険改革の必要性を訴える下りには胸を打たれた。

保守派とリベラル派の根深い対立

 さて、本コーナーでは2009年に相次いでベストセラーになった反オバマ本をいくつか取り上げた。その中で、オバマ政権を批判する保守派は共通して、大恐慌時に民間経済への国の介入を拡大し、連邦政府の肥大化を招いたフランクリン・ルーズベルト大統領を忌み嫌っていることを指摘した。

 では、リベラル派のエドワード・ケネディは歴代の大統領に対し、どのような評価を持っているのだろうか。

 保守派のヒーロー的な存在であるレーガン大統領については、あまり評価していない半面、実はルーズベルト大統領を理想として掲げ、暗殺されたケネディ大統領の代わりに就任したリンドン・ジョンソン大統領を高く評価しているのは興味深い。

 In my nearly fifty years of public life, we have not had a president as successful as FDR. The closest we’ve come (family relations excluded) is Lyndon Johnson. Civil rights was the issue of our time. He picked up that unfinished work and ensured the passage of the Civil Rights Act and Voting Rights Act. If he hadn’t, we certainly wouldn’t be where we are today. We certainly wouldn’t have the president we have today. (p501)

 「50年近い私の政治家としての人生の中で、フランクリン・ルーズベルト大統領と同じくらい成功した大統領には出会えなかった。(自分の親族を除けば)リンドン・ジョンソンが最もルーズベルト大統領に近い成功を収めた。公民権がわれわれの時代の課題だった。ジョンソン大統領は、その未完の仕事を引き継ぎ、(人種差別を解消する)公民権法と(人種などによる選挙権の差別をなくす)投票権法への道を切り開いた。ジョンソン大統領がなしとげなければ、今のアメリカはなかったのは確かだ。こんにちの大統領も誕生していなかったに違いない」

 少し余談になるが、ジョンソン大統領の話が出てきたので、最近読んだ猪木武徳著『戦後世界経済史』で出会った、以下の一文についても触れたい。

 2009年に発刊したベスト経済書の各種ランキングで上位に入った同書では、1960年代にケネディ大統領や、ジョンソン大統領が、貧困や人種差別といった社会問題に積極的に取り組んだ要因について、こう説明している。


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