2024年4月30日(火)

ペコペコ・サラリーマン哲学

2010年3月1日

 このような亀井君の考え方の基礎はどこにあるのか、私なりに考えてみました。まずそれは、ご家族、とりわけ家計の厳しい中で4人のお子さんを育てた立派なご両親の影響です。次に挙げるべきは、東京都立大泉高校の両角(もろずみ)英運・校長先生に出会ったことだと思います。

 亀井君は故郷の広島修道高校を中退したあと、お兄さん(郁夫さん、現参議院議員)を頼って上京し、いくつかの有名高校を受験しますが不合格となり、最後に私たちが通っていた都立大泉高校を受けました。成績はいまいちのところで、両角校長の面接を受けました。

 両角先生は、私ども学生からすると、お顔が円くて血色のよい、いかにも決断力がある方でした。案の定、亀井君には、“これから気持ちを入れ替えて勉強します”と約束させた上で、独自のご判断で亀井君の中途編入を許可したのです。亀井君が両角先生に出会ったのは、まさに「たまたま」(by chance または by accident)ともいえる幸運でした。

 私は、人生は「出たとこ勝負」であると常に思っております。自分の目の前に偶然現れる「たまたま」に、一つひとつ、地道に魂を込めて、ゆっくり、そして休まずに、続けて取り組んでいくことが大切だと思っています。

 将来に向けて、今の自分にはとてもできないようなことを達成したいという夢を持つことは素晴らしいことです。どんなに架空の話でも、夢を持つことはとても意味があります。きっと、亀井君にも、その中身は私にはわかりませんが、彼なりの大きな大きな夢があったと思います。それが両角先生に伝わったのではないでしょうか。亀井君が両角先生に出会えた「たまたま」を見逃さずに「出たとこ勝負」で気持ちを伝え、それが両角先生の素晴らしさによって報われました。「たまたま」と「出たとこ勝負」は、その時点では小さくとも、後になるととてつもなく大きい道につながることを、もたらすのだと思います。

 ここでもう一人、素晴らしい先生をご紹介したいと思います。日本経済新聞の最終面の人気コラム「交遊抄」の中で感動して、何十回も読ませていただいている、蒲島郁夫さんの「未来をくれた恩師」です(2007年4月7日、日経朝刊36面)。蒲島さんは、これを書かれたとき、東京大学法学部教授でしたが、現在は熊本県知事を務めています。

■交遊抄「未来をくれた恩師」  蒲島郁夫

  高校卒業後、地元熊本県の農協に就職した私が現在あるのは、心ある米国人と出会ったからだ。
  牧場経営を夢見て米国での農業研修に応募。家畜の世話に一年半明け暮れた。そのとき、ネブラスカ大での三カ月間の学科研修を受けたが、勉強で食べられるとは何と楽だろうと思い、大学に戻ることを決意した。
  片道切符を持って再渡米。後輩の研修生の通訳をしながらネブラスカ大を受験した。結果は不合格。絶望のどん底にいた私を見て、入試担当官に直談判してくれたのがジョー・ハドソン先生だ。すでに四十歳を超えていた先生は博士論文を執筆しつつ研修プログラムの講師もしており、私はそこで通訳を務めていた。
  「やる気のある学生にチャンスを与えるべきだ」と交渉してくれ、仮合格に。必死に勉強し、一学期の成績は全優で奨学金をもらった。私は故郷の婚約者を呼び、先生は結婚式で妻とヴァージンロードを歩いてくれた。
  私はよほどのことがないと学生に不可をつけない。先生のように未来の可能性に賭けたいからだ。先生は博士号を取得してカンザス市農協に勤められたが、その後消息が分からなくなった。成功したら日本に招待するとの約束はいまだに実現できていない。(かばしま・いくお=東京大学法学部教授)
                                               2007/04/07 日本経済新聞 朝刊 36ページ


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