2024年11月26日(火)

オトナの教養 週末の一冊

2016年10月20日

――インフォーマル経済は今後どうなっていくのでしょうか?

小川:インフォーマル経済は、アフリカや中南米、東南アジアと広範囲におよび、従事している人口から見ても規模は大きい。日本をはじめ、先進国の人びとは、「文化」については相対主義的な見方をしながら、経済のしくみについては「進化論」的に考えがちです。

 私たちの経済こそが発展の最終形態でインフォーマル経済はその前段階にある、アフリカや中南米などの国々も発展していけば、インフォーマル経済は自然に消滅するという見方をしがちなのです。しかし、それは違うと思います。先進諸国でも主流派の経済システムから否応なく零れ落ちたり、または主流派の経済に積極的に見切りをつけた人々がインフォーマル経済に従事することもあります。インフォーマル経済は、「異なる」経済の仕組みであり、「遅れた」経済ではありません。たとえば、私たちの国では一般的に会社をつくり、それを大きくすることが当たり前のように考えられがちですが、それだけが合理的だったりするわけではないし、生き方として経済活動をみれば、効率性だけが重要なわけでもありません。実際に、露店でコピー携帯を売っている人が、現地の中小企業で働く人より貧しいかといえば、そうとは限らないのです。コピー商品の製造や販売にしても「なぜ違法なことをするのか」という見方に立っていたら、インフォーマル経済のダイナミズムは永遠にわからないと思います。

ーー先生ご自身は、タンザニアと日本を行き来する中で、日本に戻ると違和感を覚えることはありますか?

小川:タンザニアで暮らして驚いたことは、人間の日々との営みって同じだということです。私の場合は、都市で同世代の人びとと暮らしてきたせいもありますが、日常的に話したり悩んだりすることはごくごく普通のことです。

 ただ、タンザニアは日本に比べると人間関係が非常に流動的で、もっとネットワーク的で風通しがいいように思います。

――というのは?

小川:まず余裕がある人からない人へサービスや物がなんとなく回っていき、自然なセーフティネットのようなものが出来上がっているんです。そうした人間関係からドロップアウトしない限りは生きていけるし、仮に他の人間関係に移ったとしてもまたそこでそうしたセーフティネットが機能しているから生きていける。

 しかもそうした関係を「みんなで助け合いましょう」という雰囲気でやっていないので鬱陶しくない。助けられる人も「自分ばかり助けられている」とならず、その場その場で回っている。

 日常の社会ネットワークのなかに負い目を感じないで助け合う仕組みがあるのだと思います。彼らのようにその日暮らしで未来を考えないことが幸せかどうかはまた別問題ですが、そうであっても生きていける仕組みとはなんなのかを追求することには意義を感じています。

――彼らの生き方を通して日本でも取り入れられそうなことはありますか?

小川:生活環境も価値観も違うので難しいですが、例えば生計多様化戦略はこれから日本の社会でも重要になるかもしれません。「1つの仕事で失敗しても何かで食いつなぐ」ような「その日暮し」な生き方は、いろいろな意味で設計合理主義に基づく未来優位な考え方を再考するキッカケになると思います。

 例えば、私たち研究者の世界では博士号を取得したくさんの業績さえ出せば、研究者として就職できるという状況ではないことが指摘されて久しいです。しかし一度決めた道で一直線に努力することを美徳として、寄り道も回り道も他への転戦もしてはならないかのような社会の価値観と制度的な制約はいまだに根強いです。様々な機会に身を開きつつ、いまできることで暮らしを成り立たせつつ、しかしいつでもどの道にも戻れる世界のほうが、ずっと風通しがいいと感じます。また最近、御社の「副業解禁」という記事を拝見しましたが、副業を通じて本業に新しいアイデアをもたらすという内容がとても興味ぶかかったです。「前へ前へ」という生き方が切り開く世界については、これからも考えていきたいです。

  
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