2024年4月20日(土)

WEDGE REPORT

2016年10月26日

面接にきた美人は胸をはだけ……

 ベネズエラの職場で私は秘書を雇う必要が生じ、数人の女性を面接したときのことである。オフィスに彼女が現れると、淀んだ空気が急に張り詰めた。男性社員はパソコンを打つ手を止め、息をとめて流し目で彼女を凝視した。

 勝負服でやってきたのだ。黒いタンクトップで胸を半分ほど露出し、香水の香りをぷんぷんさせ、髪を金髪にそめ、目は美しい緑、黒いハイヒールを履いて床を踏む音をフラメンコダンサーのように響かせ、ミニスカートからこんがりとした薄茶の太股をさらしている。

 面接してみると、幸い、面接者たちの中で唯一彼女だけ、私が要求する仕事の経験があった。受け答えもはきはきしていた。明るい。笑顔が美しい。以前、イタリア人の上司のもとで働いていたので、イタリア語は理解でき、英語は話せないが理解はできるという。聡明なのだ。彼女に決めた。

 ところがだ。

 仕事を始めると、メールの打ち方を知らない。コンピュータでデータ管理をさせるといつのまにかデータが消えている。スペイン語の文章も書けない。日本人の私が校正する必要がある。英語はからっきし理解せず、MrとMissの違いも分からない。集中力が10分と続かず、ぼうっとパソコンを見ているか、まわりの男性と下品な話をして笑っている。

 彼女の行った仕事は誤りだらけなので、すべてもう一度やり直す必要があった。

 それだけではない。

 彼女は母親の作った弁当をオフィスで売り始めた。朝から職員の注文を取るのに忙しく、仕事をする余裕はない。30人、40人の昼飯の弁当を販売するようになり、給与以上に儲け始めた。おかげで、彼女が秘書でいる間、私は疲労困憊し、病気がちとなった。

ホームラン王、ココ・バレンティンもこんな酷い目に

 もちろん、ベネズエラ女性の名誉のためにいうが、このような女性ばかりではない。その後、私は日本のある雑誌の求めに応じて、美人コンテスト関係者多数と会ったが、みな親切に対応してくれた。

ベラスカ・ラミーレスと筆者

 その中でもよく覚えているのは、ベラスカ・ラミーレス(Veruzhka Ramírez)だ。普通、ミス・ベネズラになるには、長期間養成講座で学ぶなどお金がかかるし、家柄さえ問われる。けれども、コロンビア国境に接する街タチラ(Tachira)出身の彼女は、孤児で12歳から女給として働き、首都に出るお金さえなかったが、1996年のミス・ベネズエラのマレーナ・ベンコモ(Marena Bencomo)に見出され、彼女の援助とオスメルの指導で1997年ミス・ベネズエラの栄冠に輝き、モデルや女優としての道が開かれ、今は後輩たちにミスコンで勝つための講習にも注力している。

 だからなのか、港町プエルト・カベーヨ(Puerto Cabello)での特別講習では、彼女は気さくで、集まった女性たち30人ほどに真摯に、そして楽しそうに歩き方、笑顔の作り方、化粧のやり方などを教えていた。

 美女にもいい人はいるのだ。

 いや、待て! 男性としての防衛反応だろうか。ふっと頭に浮かんだのは、ホームラン記録を破ったときに、キュラソー島で密着取材したココ・バレンティンの顔だ。彼の妻はベネズエラの元セクシー女優カルラ・ロメ―ロ(Karla Romero)。夫婦仲に波風が生じたときに、日本のジャーナリストにあることないこと書かせ、しかもバレンティンが自分の金で建てたマイアミの豪邸に自分と家族で住み、一時彼が入れないようにしたのである。

 やはり、ベネズエラ美女にはご用心!

【アリシア・マチャード スキャンダル史】
1996年 ミス・ユニバースに輝く。体重が18キロも増える。
1998年 恋人が殺人未遂を起こすと「大統領の関係者を使って罷免し、後に殺すわよ」と裁判官を電話で脅す。
2005年 ベネズエラ出身の大リーガの超高級取りボブ・アブリュ(注 Bob Abreu)と婚約していたにもかかわらず、リアリティショーのテレビカメラの前で他の男と欲望のまま性交する。
2006年 雑誌プレイボーイ(メキシコ版とベネズエラ版)で、ヌードとなる。元ミス・ユニバースがヌードになるのは初めて。
2008年 マイアミで娘を生んだが、父親は麻薬カルテルの一員だと噂される。
2013年 元恋人のメキシコ人の有名歌手からドメスティックバイオレンスにあっていたと騒ぐ。
2014年 昨年、乳がんと闘い、手術が成功したと公表する。
2015年 メキシコ制作のテレビドラマ「許されざる者」に出演。ウニビション、ベネビションでも放映。6月トランプ大統領選出馬表明→7月トランプに関する本を書くと記者会見。10月にドラマ終了。
2016年 ヒラリークリントンの応援団となる。米国市民権をとり、メキシコからアメリカへ生活の場を移す。「アメリカ映画に出演する予定」、「メキシコのテレビドラマの主演になりたい」と希望を述べる。英語圏での知名度も急上昇する。
(注)フィリーズで球団史上初めて30本塁打・30盗塁(30-30)を達成し、ヤンキースでは松井秀樹とともにプレー。

  
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