「こんなにまずい中華料理屋がこの地球上に存在するのか!?」
横浜中華街でふらりと立ち寄ったお店で筆者が抱いた感想だ。友人に話を聞いてみると私と同様の感想を持っている人も少なくない。特に最近増えている食べ放題の店に“地雷”が多いという。美食の街として知られる横浜中華街にいったい何が起きているのだろうか。
ぜひともこの素朴な疑問をぶつけたいと、筑波大学の山下清海教授を訪ねた。山下教授は日本を含め世界各国のチャイナタウンと華人社会の研究を続ける“異色の地理学者”で、先日も『新・中華街』(講談社選書メチエ)を上梓したばかりだ。日本のみならず、米国、カナダ、イギリス、フランス、ロシアなど世界のチャイナタウンの変容をまとめた意欲的な一冊だ。まさに山下教授こそ、横浜中華街の謎を解くにはうってつけの人物といえる。
「横浜中華街全体の質が低下したわけではありません。あくまで一部に残念な店があるだけです」
山下教授は私の質問に苦笑しつつも、横浜中華街の歴史的な変化について教えてくれた。どうやら、横浜中華街の“味”の変化には、在日中国人社会の変容が関係しているという。
三大中華街、横浜、神戸、長崎の変遷
横浜、神戸、長崎のいわゆる三大中華街はいずれも江戸幕末の開港と外国人居留地を源流とするが、今のような形になるには変遷があった。横浜中華街の場合、戦後直後は闇市と米兵や船員を主なターゲットとする歓楽街という性格を持っていた。朝鮮戦争停戦後からは、米軍基地の縮小に伴い景気が停滞し、中国要素を前面に打ち出して街を再建する計画がスタートする。そのために建てられたのが今も中華街のシンボルとして知られる、中国の伝統的な建築様式で建設された門「牌楼」 だ。その後、おいしい中華料理が食べられる街として横浜中華街は国民の間で次第に存在感を高めていった。
本当の意味で中華街がブレイクを果たしたのは「1972年、日中国交正常化のタイミングでした」。中国政府から日本にパンダが寄贈されたこともあり、日本では空前の中国ブームが到来した。その追い風を受けて、横浜中華街は観光地としての地位を確立し、今現在私たちが知る中華街となっていく。
中華街=観光地という構図は日本人にとってはごくごく当たり前の図式だが、「世界的に見ると必ずしもそうではない 」と山下教授は指摘する。たとえばサンフランシスコやニューヨーク・マンハッタンのチャイナタウンは有名な観光地ではあるが、横浜中華街ほど中国人“以外”の人々を引き寄せる場所ではない。チャイナタウンは中国人移民の居住と生活の場であることが第一義というのが一般的だという。
中国人“以外”を引きつける「中華街」と中国人が集まる「チャイナタウン」という違いが存在するわけだ。東京では現在、池袋がチャイナタウンとしての性格を強めている。池袋周辺の中国人経営の店 は約300軒(2015年)。日本人はあまり知らないが、中国人女子の間では食べられないと禁断症状が出るほどの人気となるB級グルメ「マーラータン」の専門店だけで何店舗も出店しているなど、日本人向けとは違う本場のお店がずらりと並ぶ。さらに中国人向けスーパーや書店、カラオケ、旅行会社、中国語新聞社など、在日中国人にとって必要不可欠な生活インフラがずらりとそろっている。