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2010年4月5日

 母親がひたすらに抱いていてくれることが子どもに安心感を与え、それは保護する母親への信頼を生む。原点ともいうべき信頼が、母親の行動を受け継ぐことにつながり、また家族や仲間との関係構築にもつながる。つまり、個体として生きるために必要な術、社会をつくるために必要な知恵の出発点が、生まれてすぐの母子の密着状態にあるということだ。

 一方で父親は「そこにいることが重要です。存在そのものが安心感を与える」というのが、その機能だという。「父親は母親よりも生物学的にはつながりが細いので、母親が父親を頼っている、尊敬しているという2点がないと、子どもには伝わりません」と中川は言う。

写真:田渕睦深

 考えてみれば、生物的学習から始まるプロセスは、子どもがより安全に育ち、集団の中で生きていくために必要な仕組みとして、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類という進化の過程で得られた最適解であったはずだ。なのに現代の人間は、子育てを「大人にとって」という視点から眺めようとしている。いきおい、生物的学習や生態的学習に十分な時間を割くのは難しくなるだろう。

 中川は、人間が他の動物と違うのは、生物的学習と生態的学習の先に体外脳があることだと言う。体外脳とは、個体が蓄えた知識や経験がその個体の死とともにリセットされるのではなく、他の人に伝えるべく外部に集積していることを指す。人間は、書物や教育など自身の外にある“脳”から後付けで、「私はホモサピエンスである」「社会に出るためには相手との信頼関係が大事だ」と学ぶことだってできる。

 だから、母子の接点は減ったとしても、子どもには後で教育を与えればいい、何より親にとって仕事や趣味は大事だしと、考えるのも無理はない。

 では体外脳で、生物としての本能的な部分はカバーできるのですか?

 「生物的学習と生態的学習が基盤となってはじめて、体外脳を正式に応用できます。今は最初の2つの段階を省略したまま、頭ばかり大きくなって、それを支える生物としての土壌が細まっていて、バランスが悪い状態です」

 そもそも、教育によって大脳皮質に教え込まれたものを、大脳皮質で否定することは簡単だと、中川は指摘する。「殺すのはいけない」と教えても、状況次第で真逆に振れることがある。一方、子どもの頃に愛されたことで体に染みついたものは、たやすくは変わらない。

 「チンパンジーは4年おきに子どもを生みます。子どもは4歳になると、次に生まれてくる弟や妹を母親から借りて子守をします。弟や妹がいない時は、何も命じられていないのに、よその母親のところへ行って頭を下げて、赤ちゃんを借りてくるんです。チンパンジーには育児書も道徳の時間もありません。道徳や倫理は頭で考えるものではなく、自然発生的に染み込んだものが表に出るということです」

 両親に可愛がられた経験が、違う個体を慈しむ行動につながっている一例だろう。


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