今年どんな「心配」をしただろうか。「あした雨は降らないだろうか」「プレゼンうまくいくだろうか」。あるいは、「放言の目立つ政治未経験者が次期大統領とは、世界は大丈夫だろうか」「旅先でテロに巻き込まれないだろうか」。さまざまな心配が去来する。
心配ゼロの生き方は望めないとしても、心配のしなさすぎやしすぎも望ましいとはいえない。心配の過不足により被る損失もあるだろうから。
そう考えると「正しく心配する」にはどうすればよいかという疑問が浮かんでくる。
そんな折『心配学』という新書があることを知った。著者は島崎敢氏。新書の奥付を見ると心理学者。大型トラック運転手などを経て、防災科学技術研究所の特別研究員だという。
本を読んでみるとともに、著者にも「心配」の話を聞きたくなった。「取材を引き受けてくれるだろうか」と心配ながらに依頼を出すと、1時間後に「喜んで協力させていただきます」と返信が来てホッとした。
島崎氏に「心配の正体」と「正しい心配のしかた」を聞いてみた。
心配のもとは「リスク」
心配は、生じては消えを繰り返すものの気がする。島崎氏は、心配の本質をつぎのように表現する。
「不幸なできごとが起きるのか起きないのかがわからない状態が心配を生み出すのです」