●ズバッとダメ出しされてしまったわけですね。
——悔しかったけど、そう言われて見直すと、たしかにみんな手が違う。線が違う。つまり、線が作り出す形や表情といったものが、確かに違っているんです。私はこのとき、米沢先生に、鑑識とはどういうものかについて、眼を開かさせていただいたと思います。美術史学には鑑識が非常に重要。論文ににせものを載せたりしたら大変なことになりますからね。言ってみれば、いつも鑑識の手間に煩わされるのが美術史家というものなんです。そのことを如実につきつけられたのがこのときでした。何とか、卒業はできましたけれども。
米沢先生にしぼられたのが昭和30年。それから約50年たって、『岩佐又兵衛 浮世絵をつくった男の謎』という本を書きました。又兵衛論の総決算。本人の作として間違いのない作品とそうではないものを一つずつ確認していく作業をやり続けて、最後に残るものを、帰納的というよりは演繹的な方法で導き出した。「山中常盤」の常盤殺しの部分は又兵衛だと確信しています。賊が殺される場面は、下絵を又兵衛が描いたところ、弟子といっしょに描いたところ、一番弟子が描いたところ…といろいろでしょうね。
●誰が描いたものか、そんなに細かくわかっちゃうものなんですか?
——図版で見てもわからないけど、実物を見ると見えてくるものがあります。簡単にいえば、線が作り出す形、表情の問題。これは、たくさんの絵を見てきたという体験がないと言い切れない種類のもの。要するに、直感です。直感は学問の上でも大事なもの。実証だけでは学問は成り立ちません。たとえば考古学でも、状況証拠を集めただけではだめで、そこに直感が働かないと学問にはならない。何度も現場に立ち会ってきた人の直感と、初めて現場に立ち会う人の直感は違うということです。直感だけではもちろんだめで、文献の考証も大事なわけですが。
ところが、修行をした坊さんが皆同じ悟りの心境に至るかというとそうでもないように、鑑識の判断も違ってくることがある。まあ、私に言わせれば、それはやっぱりどちらかの人の修行が足りないんであって、同じレベルに達すれば同じ結論になると思うんですけどね。
又兵衛の場合は、分類的な方法で詰めていって、最後に真筆をあぶりだした。その後、文化庁が「山中常盤」「浄瑠璃物語」を重要文化財に選定したのはうれしい出来事でした。
●そして姿を現す先生の代表的キーワード、「奇想」は?
——岩佐又兵衛の後、狩野山雪、曽我蕭白〔しょうはく〕、伊藤若冲〔じゃくちゅう〕、長沢蘆雪〔ろせつ〕、歌川国芳と、奇抜で風変わりな江戸時代の画家たちが私の頭のなかでひとつのラインになってきたところで、当時美術出版社の名物女性編集者から、連載のお話をいただきまして、著書『奇想の系譜』が生まれました。この本が出たのは1970年、私が38歳のことです。
「奇想」という言葉は、鈴木重三先生の「国芳の奇想」というエッセイからいただきました。「異端の系譜」というタイトルも考えましたが、どうも「異端」と言ってはおもしろくない。迫害された画家たちというイメージがつきまとう。だが、彼らは決して迫害されておらず、時代の寵児として歓迎されていて、むしろ主流だったわけでね。山雪のように、異端の雰囲気を漂わせているものもありますが、グロテスク・ユーモアというか、画家の茶目っ気を感じさせるものが多いんです。