事後的にでも「正しさ」追求する韓国
背景にあるのは、日本とは違う法律に対する感覚であろう。条文に書かれた文面を重視する日本に対し、韓国は「何が正しいのか」を問題にする。条約などの国際取り決めに対しても同じようなアプローチが目立つ。道徳的に正しくないのであれば、事後的にでも正すことが正義であり、正義を追求しなければならないという考え方だ。
「正しさ」を追求するのは儒教の伝統に依拠するものだ。軍部が力で国を統治した時代には押さえつけられていた伝統意識が民主化によって息を吹き返し、韓国社会では「正しくない過去は正されねばならない」という意識が強まった。1993年に就任した金泳三大統領が、全斗煥、盧泰愚という軍人出身の前任者2人を「成功したクーデター」を理由に断罪したことや、「歴史立て直し」を掲げて日本の植民地時代から残る社会的遺産の清算を進めたことが、その典型だろう。
ここに1987年の民主化まで「権力の言いなり」だったという韓国司法の特殊な事情が加わる。権威主義時代と呼ばれる朴正煕、全斗煥政権の時代は政治犯罪のでっち上げは日常茶飯事で、裁判所も権力の意向に沿った判決を量産していた。
2008年に大法院で開かれた式典で、当時の大法院長はこうした暗い過去について「判事が正しい姿勢を守ることができず、憲法の基本的価値や手続き的な正義に合わない判決が宣告されたこともある」と認めた。そして、「司法府が国民の信頼を取り戻して新たな出発をしようとするなら、まず過去の過ちをあるがままに認めて反省する勇気と自己刷新の努力が必要だ」と述べている。
こうした司法の側の意識が、「正しさ」重視を強める社会の雰囲気を気にする判決を生む素地になっているようだ。
担当判事によって割れる判断
2012年に退官した元判事は私の取材に、民主化以前の時代について「判事だって国民の一人だから社会全体の流れから抜け出すのは難しかった」と釈明した。それは、社会全体が「正しさ」重視路線に回帰する中で抵抗することの難しさを語っているようでもあった。
だが、この元判事は民主化の影響について別のことも口にした。「いきなり裁判の独立と言われて判事たちは戸惑った」というのだ。初めて経験する事態に直面した判事の中には自らの所信を強く前面に押し出せばいいと解釈した人たちがおり、「判事によって判断が極端に割れるという事態が珍しくなくなってしまった」と話した。
「正しさ」重視とは言っても、法理を重視する世界だから限界はある。それでも元判事の述懐のように「裁判の独立」が拡大解釈され、判事によって判断が極端に割れる状況になったから、「正しさ」重視の司法判断も気軽に出せるようになったのではなかろうか。