2024年11月21日(木)

韓国の「読み方」

2017年1月31日

 前述した大法院による元徴用工訴訟の判断は好例だろう。日韓請求権協定の効力を否定する2012年の新判断は、日本の最高裁小法廷に当たる「部」によるものだった。建て前としては判事4人の合議だが、実際には主審判事に大きな裁量が与えられており、他の判事は追認するだけということが多い。

 これほど重大な問題は大法廷に当たる「全員審理」に回付しなければならなかったと後に批判されたのだが、全員審理ではこれほど「画期的」な判断を出せないと判断した主審判事が自分で処理してしまった可能性が高い。韓国メディアによると、この主審判事は周囲に「建国する心情で判決文を書いた」と語っていたという。これでは、英雄気取りで「正しさ」に酔ったと言われても仕方ないだろう。

 大田地裁の判決は、浮石寺の所有権を認めただけでなく、判決確定前に仏像を引き渡す仮執行も認めた。浮石寺に仏像が渡ってしまった場合、上級審で判決が覆っても日本への返還が難しくなる恐れが強い。被告の韓国政府は即日控訴すると同時に、仮執行にストップをかけるための「強制執行停止」を申し立てた。この申し立ては大田地裁の別の裁判官によって審理され、政府側の主張が認められた。とりあえず仏像が浮石寺に移される事態は回避されたということだ。韓国の司法といっても一枚岩ではないことは明白である。仏像の所有権に関する判断も、高裁でひっくり返る可能性が十分にあるだろう。

韓国側に伝わらない「日本の抱く違和感」の強さ

 トランプ米大統領を見ていると、国家間の合意を覆すハードルは低くなっているような思いにとらわれる。しかし、それでは相手はたまらない。しかも、道徳的な正しさをふりかざす考え方は独善に陥りやすいので、さらに対応が難しいのである。

 問題の仏像が1330年に浮石寺に奉安されたことと、1526年頃以降は観音寺にまつられていたことは争いの余地がない。これを機に二つの寺が交流を始め、仏像も日本への返還前に故郷の寺で特別展示でもしましょう、ということにでもなっていれば「ちょっといい話」で終わっていたはずだ。

 だが実際には、浮石寺は「倭寇によって略奪された」と所有権を主張して提訴した。日本側は、長い交流の中で多くの仏教文物が朝鮮半島から渡ってきたうちの一つという位置づけをしている。過ぎ去った年月を考えれば当然だが、どちらも具体的な証拠があるわけではない。

 仏像訴訟の判決に対しては韓国内でも批判が出ている。それでも日本では「やはり韓国司法はおかしい」という反応を生み、韓国そのものに対する違和感を強めているように感じられる。さらに問題なのは、日本側での違和感の拡大という「不都合な真実」が韓国社会にきちんと伝わっているようには見えないことだ。私もなんとかきちんと伝えたいと思うのだが、いつも力不足を嘆くことになってしまうのである。

 (「正しさ」重視への回帰や司法への影響は、2年前に上梓した拙著『韓国「反日」の真相』(文春新書)の内容をベースにしている。関心をお持ちの場合には同書を手に取っていただければと思う。)

  
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