大神〔おおみわ〕神社、山の辺の道……はるか古代からひらけた奈良盆地の一隅に、
300年以上続くという旧家の当主が自宅裏に建てた美術館には、
周囲ののどかな風景とは対照的な、現代美術の諸作品が展示されていました。
喜多美術館は奈良盆地の東南端にある。何しろ奈良だから、歴史の古い一帯だ。日本最古の神社といわれる大神神社も近い。美術館の目の前には「山の辺の道」が通っている。飛鳥以前の神話の時代から残る、日本最古といわれる道だ。物と違って道だから、その古さがはっきり見えるわけではないのだが、ゆるゆるとカーブしながら延びる道を踏み歩くと、その空間にじんわりと歴史を感じる。
美術館の本館は、一階だけの平屋だった。砂利を敷いた前庭を通って中に入ると、すぐ右側に研修室のような部屋があり、その壁面にいきなり現代美術のオブジェ作品が立てかけてあるので驚いた。三木富雄の耳の作品も無雑作に壁に掛けてある。ゴッホや佐伯祐三の近代絵画を予想していたので、虚をつかれた。それにしてもずいぶん身近に作品がある。この建物にしてもぜんぜん凝ったところはなく、展示空間の必要のために造ったという、ラフな感じだ。
とにかく展示室に入ると、そこにはちゃんと油絵が並んでいた。佐伯祐三をはじめ藤田嗣治、安井曾太郎〔そうたろう〕、西洋のものではゴッホ、ルオー、レジェ、ブラック、ピカソなどいろいろ。やはりこの辺りの近代絵画というものが、見ていて目が落着く。ピカソにしろルオーにしろ佐伯にしろ、登場した当時は非常に破壊的な、猛々しいものに映ったわけだが、いまそれを見る目には何枚もの歴史のフィルターが備わってきているので、そのフィルターが濾過してなお残る絵の快さが、目には美味しく感じられる。
佐伯祐三の「食料品店」は、さすがによかった。あの時代のあの場所の暗い輝きというものが、存分に伝わってくる。もっと荒っぽい感じの絵が佐伯の本領なのかもしれないが、それをぐっと抑え込んでいるようなこの絵は、やはりいつまでも見ていたくて欲しくなる。
ゴッホはモノクロームの素描で、若いオランダ時代のものだろうか。これもゴッホの晩年の狂気を考えてみれば、それを奥深くに抑え込んだ人間のひたむきさがにじみ出ていて、これも貴重なものだと思う。
安井曾太郎の「裸婦」も、これはひとめ見て安井とわかるほど、彼の生真面目さがぎこちなさとなって見えている絵だ。アトリエに少女を立たせて描いているが、無難な筆致というのはどこにもない。画面下で寸詰まりになった足先など、もう少し何とか、と思うが、その処理に困惑する筆致がむしろ面白い。