ヤクルトの監督であった野村克也に言われた初めての言葉は「オマエ、器用か? 不器用か?」である。「不器用だと思う」と答えた小早川は、「ワシの見る限り、器用なやりかたをしている」と一蹴される。「相手のことはもちろん、自分のことも分析しなさい」というメッセージに始まった野村監督の教えはとても新鮮だった。同じことでも、角度を変えるだけで全く違って見える。野村監督の教えは、その角度を変えた。「鈍感は成長の妨げ」と、常に考え、気づきを多く得ることの大切さを教わった。
迎えた開幕戦。5番バッターとしてスタメンに起用され、当時3年連続開幕戦完封勝利をあげ、前年には沢村賞を獲得している斎藤雅樹から、3打席連続本塁打を放った。
「監督がリモコンで操っているんじゃないかと思うくらい、言った通りにボールが来た。といっても、打ったのは僕なんですけどね(笑)」
〝野村再生工場〟で見事に復活を果たし、リーグ優勝に貢献した。
99年、ヤクルトでも3年目を迎え、年齢は37歳となっていた。この年のシーズン中、球団から来季の契約はしないことを告げられた。引退試合を提案されたが、それを断ってまで現役にこだわった。しかし、練習をしないと衰えてしまうと分かっていながら、その練習にもついていくのがやっとになっている。その現状に迷いもあった。最後まで現役でプレーする道を探るものの、ついに引退を決めた。
「最後までもがくことができて、悔いはない。普通に、身を引こうと思えた」
16年のプロ野球選手生活に、ピリオドを打った。
引退後、解説者となり、2006年から09年まではカープの打撃コーチも務めた。野球界の内外で、現在も活躍を続けている。
「野球を通じて生きていくことになるだろう」と、将来を見通した高校時代。その言葉通りに、今を生きている。
「それは、幸せなことだよな」
今なおガッチリとした体躯には不自然なほど、幼くはにかんで見せた。(文中敬称略)
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。