初瀬:現在はパソコンがあったり、音声で聞いて学んだりできますが、小学生の頃はどんな方法で勉強していたのですか。
グリズデイル:私が育ったのはカナダのオンタリオ州ですが、公立の小学校でもスタッフが付いてくれて、私の代わりにノートを書いてくれたり、その他のこともサポートしてくれました。
初瀬:グリズデイルさんみたいに障害のある子も当たり前に通ってくるので、学校内はバリアフリーやユニバーサルデザインになっていたということですね。
グリズデイル:それがなっていなかったのです。私が通うようになってから、少しずつ変わっていきました。当初小学校にはエレベーターがなく階段だけだったのでリフトが付きました。
高校にはエレベーターがあったのですが、カギがないと使えないタイプなので、いつも誰かがいっしょに乗って動かしてくれました。
それも数年後には普通のエレベーターになって使いやすく変わっていきました。
初瀬:学校側は障害者を受け入れ、必要に応じて環境を整えていったということですね。
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初瀬:ところで日本に対する興味はいつ頃から持ち始めたのですか。
グリズデイル:父親がIBMに勤めていた影響で、私もITの仕事に就きたいと思って理系に進んだのですが、日本語も話せたら将来何かの役に立つかもしれないと思い、高校生になって日本語を学ぶクラスに入りました。それが16歳のときでした。
高校を卒業するときに、そのお祝いとして父親といっしょに日本に旅行に来たことがあります。教会のパソコンを修理するボランティアをしながら1カ月間ほど千葉県の市川に滞在していました。
初瀬:16歳のときから日本に興味があって、将来的に日本で働きたかったということでしょうか。最初に日本に来た時の印象はどうでしたか。高校卒業時だと2000年頃ですね。その当時だと、障害者への配慮も今ほどは浸透しておらず、いろいろなトラブルを経験されたのではないでしょうか。
グリズデイル:日本語クラスで言葉や文化については学んでいたものの、実際のことは映画やアニメで見た程度で詳しく知らなかったので、車椅子でどれくらい動けるのだろうと心配でした。当時の日本の駅にはエレベーターがありませんでした。それにまだ日本語に慣れていなかったので、駅員さんの言っていることが聞き取れなかったのです。
一番印象に残っているのは浅草の浅草寺に行ったときに、都営線に乗ろうとして、友人が駅員さんを呼びに行ってくれたところ、2人の駅員さんが来て「車椅子でも大丈夫ですよ」と言ってくれたのですが、私の電動車椅子は120kgもありますし、私の体重も加わっているので2人では持ち上がらないんです。「少し待っていてください」と言われて、その後、6人で来てくれたので、私が「もういいです」と言ったら、「大丈夫ですよ」と持ち上げてくれたのですが、私は(重くて落とされてしまうのではという)恐怖と親切な人たちに対する感動を同時に味わいました。(笑)
箱根に行きたくて、朝の早い時間に出発しなければならないときも、駅員さんたちがみんなで私の車椅子を持ち上げて運んでくれたこともありました。
初瀬:浅草はたくさんの外国人が多く訪れる観光地だからかもしれませんが、当時でもそうした対応があったのですね。良かった。安心しました。