南北戦争で小さな町は大混乱
4月12日(火)。カンザス州の南東の隅のミズーリ州とオクラホマ州との州境にあるBaxtar Springsという町の郷土資料館を訪問。南北戦争に従軍した町の人たちの遺品が並んでいるコーナーがあった。ボランティアのお年寄りに聞いたら「この町は州境で町民集会で南軍、北軍どちらに参加するか意見がまとまらなかった。それで各自の自由意思でどちらに参加するか決めることになったんだよ」という。
聞くと奴隷制度そのものに対する賛否ではなくどちらに参加したらメリットがあるかとか、いずれか優勢かとか、どちらに親類が住んでいるかとかそういった理由で判断したようだ。どうも我々は善悪二元論で単純に白黒を判断してしまうが実際の歴史は複雑で微妙なようだ。奴隷制度は非人道的で許されない ➡ 南北戦争は奴隷制度維持に固執する守旧頑迷な南部農園主による理想主義的人道主義者のリンカーン大統領への反乱だ ➡ リンカーンはゲティスバーグの演説でアメリカの基本理念の民主主義原則を掲げて南北戦争後の米国を統一した……めでたしめでたしという教科書的な理解はあまりに単純すぎるのではないかとふと思った。
中西部最大のユニオン砦は義勇兵が守った
4月20日(水)。ルート66から離れてニューメキシコ州のテキサス州境の近くに位置する国立公園のユニオン砦(Fort Union)を訪問。パンフレットによるとこの砦は1851年に築かれ1891年に役割を終えて閉鎖された。ここは当時テキサス州とニューメキシコ州の中心であるサンタフェをつなぐサンタフェ街道(Santa Fe Trail)の要衝であった。
ユニオン砦はサンタフェ街道をゆく人々の保護と先住民からの攻撃を防衛するために建設。そして南北戦争時には南軍の西進を阻止する防衛拠点になった。
国立公園管理事務所での概略説明を聞く。当時騎兵隊の兵役期間は2~3年。志願者は貧しい移民の子弟が多く大半はアイルランド系、ドイツ系などの新しく大陸に移住してきた家族の子弟であった。さらに1863年の南北戦争後は解放奴隷の黒人が激増。今も昔も貧困層の若者が軍隊を志願するという構図は変わっていないようだ。
このユニオン砦は最盛時には将兵3500人とその家族、軍属、商人など非戦闘員が1500人、すなわち5000人が居住していた中西部最大の軍事基地であった。
南北戦争が勃発すると南部出身の相当数の士官が離脱して南軍に参加。残ったユニオン砦の将兵は南軍を阻止するため出陣。手薄になった砦には多数の義勇兵(volunteer solders)が集まって防衛したという。
リンカーン大統領も歴代大統領同様に先住民(インディアン)の排除・封じ込め政策を踏襲していたのでユニオン砦は南軍と先住民諸部族を同時に相手にする二正面作戦の舞台となった。ここで気づいたのは黒人奴隷を開放したリンカーンは先住民の居住権、財産権はおろか基本的人権すら考慮していないということである。
義勇兵には白人開拓者だけでなくスペイン統治時代からのメキシコ系住民も多数参加。メキシコ系住民も自分たちの土地を守るために北軍に参加したのである。南北両軍だけでなく先住民諸部族、白人開拓者、メキシコ系農民と様々な人々が混乱に巻き込まれていったというのが歴史の実相のようだ。