この問題は実は非常に重要な意味を持っている。かつて、ロシア人の子供と米国の家族との養子縁組はかなり行われていたが、いわゆる「マグニツキー法」(後述)に反発したロシアが、米国に養子に取られたロシア人の子供たちが虐待を受けているという言いがかりをつけて、米国人との養子縁組を禁止する法律を制定していたという経緯がある。つまり、「マグニツキー法」と養子縁組禁止法はセットで考えられるべきものであり、養子縁組の問題が話されたということは当然ながら、「マグニツキー法」の撤回という展開も双方の脳裏にあったであろうことは間違いないだろう。
「マグニツキー法」とは、ロシア人弁護士だったセルゲイ・マグニツキー氏が顧問をしていた英国人投資家が、ロシア国営企業の大規模不正を暴露した際に、代理人として逮捕されたマグニツキー氏が投資家に不利な証言を迫られたもののそれを拒否した結果、一年以上拘留されながら暴力を受け続け、結局2009年に獄中死したことに端を発する。米国投資家らの運動により、「弁護士の死とロシアにおける人権侵害に関わった全ての者に制裁を科す」として2012年に成立したのが同法だ。
人権侵害を行なった者への制裁の内容は、ビザ発給禁止や資産凍結などである。同法は、ロシアにとって極めて厄介である一方、自由や民主主義を標榜する米国にとっては、ロシア側に改善が見られない以上、その撤回は国家の威信をかけてできないのである。そして、依然としてロシアの人権問題が深刻である中、この問題が議論されたということは、同法の撤回が現段階でないとはいえ、議論が行われたということだけでも、トランプのプーチンへの歩み寄りの姿勢が強く感じられるのである。
ロシアがトランプ一族に近づいた意図
しかも、この問題は、米国のロシアゲート問題追及の中で、今最も重要なポイントとなっている大統領選期間中の昨年6月に、「民主党候補ヒラリー・クリントン氏に不利な情報の提供」をするというオファーに飛びついて、トランプの長男ドナルド・トランプ・ジュニア氏や娘婿のクシュナー氏らがロシア人弁護士と面会していた件とも大きく絡む。ジュニア氏やクシュナー氏は、面会の事実は認めながらも、選挙で有利になるような情報は一切得られなかったとしており、話の内容が米国人によるロシア人との養子縁組禁止措置やマグニツキー法の撤回問題であったことを明らかにした。
実際、ロシア側が明らかに目的を持ってトランプ一族に近づいたということは、ロシア側の面談参加者の顔ぶれを見れば一目瞭然だ。ロシア側からは、ロシア人弁護士のナタリア・ベセルニツカヤ氏、ロシア系米国人のロビイスト、リナット・アフメトシン氏が出席していた。ベセルニツカヤ氏は、ロシア政府が米国民によるロシア人の養子縁組を禁止した対抗措置の撤回を目指す団体を設立するとともに、その根源となったマグニツキー法の撤廃も目指す活動を行なってきた弁護士であり、アフメトシン氏はベセルニツカヤ氏の団体の登録ロビイストだ。
ロシア側が、選挙でトランプに有利になる情報をもたらしたのかどうかは不明だが、ロシアが大統領候補者にマグニツキー法の問題を切々と訴えたのは、ロシアがマグニツキー法を米露関係の大きなネックと考えている証拠であろうし、その問題の解決なくして、今後の米露関係の発展はないとするメッセージだったのかもしれない。だからこそ、プーチンは非公式会談でもトランプの耳にしっかりその問題を吹き込んだのだと考えられる。