2024年12月22日(日)

ドローン・ジャーナリズム

2017年9月7日

 2013年6月、富士山はユネスコ世界遺産委員会によって世界文化遺産に登録された。正式名称はタイトルにもある「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」である。これは、その美しい景観だけではなく、古来から神宿る山として祀られてきた山岳信仰の対象としての富士山と、万葉集や富嶽百景など芸術の対象としての富士山、日本人の根源的な精神や文化に大きな影響を与え続けてきた富士山に対して、ユネスコが普遍的な価値を認めたことを意味している。

 今回、この信仰の部分にフォーカスをあて、富士山信仰を受け継ぐ「富士講」の信者の方々に特別な許しを得て、富士登山(富士山登拝修行)の様子をドローンを交えて撮影させていただいた。まずはこちらの映像をご覧いただきたい。

 神道 扶桑教の富士山登拝 / Mount Fuji Pilgrimage

※各種法令を遵守し、特別な許可を頂き撮影。

 「富士講」とは富士山を信仰する民間信仰団体のこと。江戸時代中期、主に江戸で流行し民衆に広がった富士山山岳神道を信仰している。明治以後、特に戦後は富士山登山のレジャー化に伴い、その数が激減したが、現在も全国で数十の講が存在し活動している。

 神道 扶桑教は、明治時代、全国に散らばっていた富士講を神道の1教派として統合した団体で、東京都世田谷区松原に本部がある。この世田谷区から富士山頂まで、2泊3日の行程を、今回同行させていただいた。

 映像冒頭、住宅地の真ん中にひっそりと建つこの神社が、神道扶桑教本部(太祠)。「松原のお富士さん」と呼ばれている。石柱、鳥居の額、いたるところに「富士山」の文字が見られた。本堂の右横には信仰のよりどころのために石や土で富士山の形を模した富士塚がある。

 富士講の信仰は厳しい環境の富士登山を行い天地平安・萬人安福を祈ることを重要視している。この修行登山のことを「富士山登拝修行」と呼び、現在も受け継がれている。

 今回の扶桑教登拝は、御神体のご神鏡(御神實 みかむざね)を松原のお宮から八合目に鎮座する天拝宮にお運びする神事。

 参加者は約20名。老若男女、最年少は2歳から、ご老人は70代まで。お宮での出立祭を経て、先頭に提灯、先達、ご神鏡を担ぐ神輿と続く。みな白い山装束で金剛杖を付き「六根清浄」の掛け声で進んで行く。

 一つ目の訪問先は、静岡県富士宮にある富士山溶岩洞窟「人穴」である。富士道開祖 角行師がこの洞窟内部で修行を行なったと言われる霊場だ。

 敷地内には角行師の墓碑もある。

 洞窟の暗闇の中、ろうそくのあかりだけで人穴内の祠にお参りをした。

 洞窟内は広くかなり奥行きがあった。以前はひざ下まで水で満たされていたそうであるが、ここ数年は水が湧かず、歩行は簡単になったという。

 次に向かった北口本宮冨士浅間神社は、山梨県富士吉田市、富士登山道の吉田口の起点とされてきた歴史ある神社だ。一行がくぐっている冨士山大鳥居は木造では日本最大の鳥居である。

 北口本宮富士浅間神社の参道の入り口のちょうど脇に、扶桑教の立教の地である元祠がある。

 木々は高く生い茂り、富士山は見えないが、ドローンであればはっきりとこの地がなだらかに富士山につながっていることがわかる。

 宿泊のため富士吉田市内の「大国屋」という御師(おし)の家を訪れた。御師は古来、富士講を広める普及活動も行なう信仰の指導者であった。全国からやってくる富士講の登拝を助け、宿を提供した。毎年同じ御師の家に富士講はやってくる。御師にとっては富士講は檀家だ。宿内には神殿を備え、庭には禊のための小川や滝がある。

 富士講が最盛期だった江戸時代、江戸、八百八町に一つずつの講社があると言われ、ここ富士吉田市も最盛期で100軒を超える御師の家が軒を連ねていたという。現在は、富士講を迎える御師の家は数軒のみに減り、一般客も受け入れる民宿・ゲストハウスに形を変えた御師の家もある。


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