空襲や原爆の慰霊碑を建てるなと日本が米国に言われる筋合いはないはずだ。それが分かっているからなのか、菅義偉官房長官の記者会見での答えはそれほどストレートなものにはなっていない。
マニラの慰安婦像建立について質問された菅氏は「諸外国における慰安婦像の設置は極めて残念」だという一般論を述べつつ、「フィリピン政府と相談して対応したい」と語った。記者からさらに「撤去を求めるという理解でいいか」と問われると、菅氏は「まず諸外国における慰安婦像設置はわが国政府の立場と相いれない極めて残念なことだ」という一般論ともいえる発言を再びしてから、「外務省からフィリピン政府に対してすでに申し入れを行った」と答えたのである。「わが国政府の立場」という言葉が出てくるものの、やはり明快なものではない。
外務省関係者に聞くと、「抗議と書いた新聞があるのは事実だが、政府として『抗議』という言葉を使っているわけではない。フィリピン政府に『残念だ』という思いを伝えたということだ」と話す。官邸周辺に「撤去させろ」と息巻いている人がいることは想像に難くないが、そんなに簡単な話ではないのである。
フィリピンでは暴力的拉致の慰安婦集めも
さらにフィリピン特有の問題がある。「南方の占領地域では、フィリピンの第十四軍は軍紀が乱れているとの定評があった」(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』新潮選書)。他の占領地と比べても日本兵によるレイプが多発していたことが、当時の軍法会議の記録などから明らかになっている。慰安婦の募集にしても、フィリピンやインドネシアといった占領地では強制連行としかいえないケースがあった。日本の植民地として行政機構が整備され、業者に任せておけばよかった朝鮮とは全く事情が異なる。
「日本政府が撤去を求めたのは当然だろう」と論じた読売新聞社説(12月15日)も、「1942年から45年までの占領で、フィリピン各地に慰安所が設けられた。一般女性が一部の現地部隊によって暴力的に拉致されたケースも報告されている」と書いている。
事情を知る外務省幹部は「フィリピンでは日本軍は本当にひどいことをやった。現地にはその記憶がある。『悲劇を忘れないために慰霊碑を作ろう。おカネは私たちが出す』と言われたら、現地の人たちは『ぜひ』となる」と話す。
幸いなことに1990年代に設立されたアジア女性基金による元慰安婦への「償い」事業は、フィリピンでは順調に進められた。かつては反日感情が強かったが、近年の日比関係は極めて良好だ。そうした関係に慰安婦像が波紋を巻き起こすのは残念だが、それだけに日本側としては不幸な歴史に目配りをした慎重な対応をしなければならない。