WEDGE REPORT

2018年2月19日

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田村明子 (たむら・あきこ)

ジャーナリスト

盛岡市生まれ。1977年米国に単身留学し、1980年から現在までニューヨーク在住。著書に『ニューヨーカーに学ぶ軽く見られない英語』(朝日新書)、『知的な英語、好かれる英語』(生活人新書)、『女を上げる英会話』(青春出版社)、『聞き上手の英会話』(KADOKAWA/中経出版)など。翻訳書も多数。フィギュアスケートライターとしても知られており、『挑戦者たち-男子フィギュアスケート平昌五輪を超えて』(新潮社)で2018年ミズノスポーツライター賞受賞。

怪我と病気と闘い続けた4年間

 ソチオリンピックからこの平昌に来るまで、自分が思い描いていた青写真に沿って来ることができたのか、と聞かれると、羽生はまず「全然ですね」と口にした。

 「19歳のときに(ソチオリンピック金を)とって、あれからすぐに世界選手権があった。あのとき一番覚えているのは、一番最初に何がしたいですかといわれて、練習、サルコウの練習といいました。(オリンピックでの)フリーのリベンジがすごくしたくて臨んだ世界選手権主権だった。サルコウの練習ばかりしていたら、ショートで絶対自信を持っていたトウループでミスしてしまい非常に悔しかった。フリーで何とか挽回できて優勝できた。そういう記憶があります」

 2014年埼玉選手権で、羽生が初めての世界タイトルを手にしたときのことだ。

 だがそこから、羽生の身には次々と怪我と病気がふりかかってきた。中でも中国杯でウォームアップの最中に他の選手と衝突し、バンデージを巻いて滑った試合はファンにとって忘れられない姿だろう。

 「中国(での事故)があって、そして手術もあって、捻挫もし、本当に怪我と病気と、まあそういったものに苦しみながらこの4年間を苦労したわけですが、それは思い描いてなかったですね。思い描けなかったですし」そう言って苦笑した。

 「でも正直に言えるのは、もし何もなくてこのNHK杯で怪我をするまで本当に順風満帆でうまくいっていたとしたら、多分(ここの)オリンピックでメダル取れてない。やはりいろんな経験があったからこそ、いろんな勉強ができた。それが分かったのは今回の怪我のおかげと思っています」

「治療の時間が欲しい」

 昨日の現地時間の午後に優勝が決まってから、この会見が行われた朝の10時まで、おそらく羽生には寝る時間がほとんどなかったに違いない。

 取材などいやというほどすでに受けたに違いないが、羽生は一つ一つの質問に、いやな顔も見せることなく丁寧に答えていった。

 一か月後には、ミラノ世界選手権が開催される。このまま競技に出続けるのか。あるいは少し休養を取るのか。そう聞かれると、即座に「足首しだいです」とまず答えた。

 「(滑るために)痛み止めを飲んで、注射が打てれば本当はよかったんですけれど、注射が打てないような部位であったので、痛み止めを何とか飲んで、飲んでという状態。はっきり言って今の状態が良くわからないです。ただはっきりと言えることは、痛み止めを飲まない状態ではとうていジャンプを降りられる状態ではないし、跳べる状態でもないということはわかっている。治療の期間が欲しい、というふうに思います」

 SPとフリー、2日続けて2つのプログラムをほとんどミスなく滑り切ったが、実はそのような状態であったことを初めて明かした。

 「ただ金メダルをとってきたからこそ、すぐにみんなに笑顔になってもらえるような演技をしたいというふうにも思っているので、みてもらいたいという気持ちはある。競技ということになると、ちょっと治療の期間が必要だと思っています」

 だがスケートそのものに疲れている思いは、まったくないと言う。

 「モチベーションに関して、スケートをもうやめたいと思うことはまったくない。モチベーションはすべて4アクセルだけ。とるべきものはとったし、やるべきことはやったと思っています。あとは小さかったころに思い描いていた自分の目標、夢じゃなくて目標をかなえてあげるだけかなと思っています」そう言葉を結んだ。
 

  
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