これで日本の扉も開く。その後、次々と外国の映画賞を獲得。ついに米国アカデミー賞の外国語映画賞を日本作品として初めて受賞。イスラエル映画とフランス映画の一騎打ちという下馬評を覆しての快挙に、翌日には配給元の松竹の株価が急騰し、上映館も急増、動員数も跳ね上がった。極めて日本的な土着の葬送習俗が世界の共感を得て、その勢いで国内の拒否反応を見事に蹴倒したことになる。これもまた実に日本的な展開だ。
オスカー※はありがたくいただいて早く忘れると語っていた滝田だが、ずっとついて回る「オスカー監督」の名は、その後に何か影響を与えているのだろうか。
「オスカー監督らしい映画を、なんて言われちゃうと、何それ? ですよね。前作を超えなければならないという思いは変わらないけれど。まあ、多少ハードルは高くなっているということはあるかな」
60歳を過ぎて、あと何本撮れるかを考えるようになったという。自分の中で抱えている思いは、伝えることができているようでもあり、撮り終えるとまだ形にしきれていない気もするようだ。
「本当に自分らしい映画にまだ出会っていないかもしれない。まだ見ぬ自分の映画と遭遇したいと思っています」
シリアスな大作のイメージやオスカー監督に求められる期待を自由奔放に突き抜けて、まだ見たことのない自分の映画に遭遇したい。その思いは、滝田ファンも全く同じである。
*米国アカデミー賞受賞者に贈られる像
たきた ようじろう:1955年、富山県生
まれ。映画制作会社で助監督を務めた後、81年、監督デビュー。2009年、「おくりびと」が日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞、さらに米国アカデミー賞で日本映画初の外国語映画賞を受賞。その後も次々に話題作を世に送り出している。
岡本隆史=写真
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