2024年11月22日(金)

この熱き人々

2018年3月21日

 水を得た魚は、6年後に助監督から監督に。デビュー作は、当時のピンク界のスターたちが友情出演した「痴漢女教師」。これが「痴漢電車」シリーズを誕生させるヒットになった。

 「監督をやって、モノを作る責任者というのは体感温度、絶対温度が違うと思いました。1週間寝ていなくても眠くない。冴えわたってる。思いもかけないことが現場で起きて、乗り越えて掛け算になっていく。もうやめられないなと思いましたね。責任の大きさと同時に好きなことができる喜びを感じました」

 完成した時、現場で滝田を鍛え上げた師匠でもある向井が、「こいつ大監督になったりして。ワッハッハ」と大笑いし、周囲もみんな爆笑し、滝田自身も笑ったという。

 「ピンク映画って、ピンクのシーンさえ撮っておけばあとは好きなことができるって気がついて、面白かったですね」

 海外のミステリーや名作をアレンジしたり、名シーンのカメラワークを取り込んだり、自在に遊んでいたようだが、滝田の異才ぶりは極まり、「ピンク映画界に滝田あり」とまで言われるようになっていた。滝田の作品は、時代を鋭く切り裂いたシニカルな視点と、前衛的で実験的な手法を駆使して展開される物語にピンクシーンが連結されているような感じで、ピンク部分を外せば斬新な一般映画になる作りだったという。

生み出す苦しみと喜び

 滝田が初めて一般映画を撮ったのは1985年。何にでも突撃していくリポーターを描いた「コミック雑誌なんかいらない!」である。

 「ちょうどリポーターがいろいろな意味で話題になっていた頃でした。目を凝らして、心を凝らして時代の裏側を見ていく。時代とどう切り結んで、普遍性に突き抜けるか。そこが一番大切だと思って」

 ワイドショーを席巻した人物が実名で登場したり、突撃取材で有名人の結婚式まで取り込んだりする痛烈なまでに面白い作品で、出演者には内田裕也、ビートたけし、渡辺えり子(旧芸名)、原田芳雄、片岡鶴太郎などが名を連ねる。まるで滝田の才能に引き寄せられるように、たくさんの才能が結集して生み出された傑作である。

 「でもさ、自主制作、自主配給、自主宣伝の映画だから全く公開の目途が立たなくてね。学園祭で上映したりしていたら、たまたま予定の作品がキャンセルになったとかである試写会で上映してもらえて、それをたまたま観たニューヨークのジャパン・ソサエティーの人とMoMA(ニューヨーク近代美術館)の映画担当者が、面白いからって現地で上映してくれることになってね」


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