2024年12月23日(月)

赤坂英一の野球丸

2018年3月21日

 プロ野球は先週末から、一軍よりも一足先に二軍のイースタン、ウエスタン・リーグが開幕した。日本ハム・清宮幸太郎、ロッテ・安田尚憲、広島・中村奨成らキャンプやオープン戦までは騒がれていた今年のゴールデンルーキーたちも、1年目のシーズンの大半はこの二軍で過ごすことになるだろう。

(kayintveen/iStock)

 今を時めくDeNAの筒香嘉智、日本ハムの中田翔も、高卒新人だった1年目は長いファーム暮らしを強いられた。清宮たちが筒香、中田のような主力に成長できるかどうかは、二軍首脳陣の指導如何にかかっている。

 振り返れば、2007年秋のドラフト1位で、大阪桐蔭高校から鳴り物入りで入団したころの中田はひどかった。打撃練習でこそ快音を連発したものの、身体が硬くて股割りができない上、太り過ぎでまともに守ることさえ覚束ない。「体重を減らすべきではないか」と記者に指摘されると、「痩せたら動けるようになるんですか。動けるデブになったらええんでしょう」と言い返したりしていた。

 結局、1年目の08年、中田は二軍から抜け出せないまま。2年目の09年にようやく一軍昇格を果たしたが、控えで僅か22試合に出場しただけ。3年目の10年にはシーズン序盤、二軍の試合中に左膝半月板損傷という重傷を負い、手術を受けて長期離脱を余儀なくされている。気の早い一部マスコミでは、限界説もささやかれ始めた。

 そんな中田を、二軍監督だった水上善雄(現ソフトバンク内野守備走塁コーチ)は、いつも口やかましく注意し、毎日のように怒鳴りつけた。ミーティング中にコーチや選手の前で叱り飛ばしたこともあれば、鎌ヶ谷スタジアムの監督室にひとりだけ呼びつけて延々と説教したこともある。中田が高校時代、筋金入りのガキ大将だったことは有名だが、水上も若いころは長髪をなびかせ、真っ赤なコルベット・スティングレーを乗り回していた一昔前のやんちゃ坊主だ。中田がカチンときた表情を見せたりすると、さらに声を荒らげ、徹底的にやり込めたという。

 そうした水上の指導が徐々に実を結んで、中田がやっと成長の兆しを見せ始めたのは、左膝半月板損傷の傷痕が癒えた10年のシーズン終盤だった。当時、二軍で調整中の中田に鎌ヶ谷で話を聞いたら、「去年までのぼくは子供やったんでしょうね」とこんな答えが返ってきたものだ。

 「いま思うと、最初のころにギャフンと言わされてよかったと思いますよ。動けるデブになったらええとか、アホみたいなこと言うてましたよね。ぼくがあのままやったら、いまごろはもう終わってたかもしれません。正直、おれだけなんでこんなにクソミソに言われるんやと思ったこともありましたけど、いまはたたかれてよかったと思ってます」


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