・「これは事故で、ガスもれのようだ。ガスがビル全体に充満してそれに火がつけば、アッという間にビル全体がアウトだ」
・「地下1階でシアン系ガスの白い煙が出たらしい。はじめは、テロリストの仕様かもしれないと考えて、当局が対応したらしい」
・「どうも火事ではないらしい。これは確かだ」
・「平日なら数千人がこのビルの中にいる。今回の避難も、平日だったら、人が先を競って下へ降りるので、凄惨なことになった可能性が大きかったと思う。土曜日でよかった」、などなど。
人間、自分の力だけではどうしようもないことが沢山あると、自分では分かっているつもりでした。しかし実は、本当には分かっていませんでした。私にとっては「九死に一生を得た」ことで、神様と仏様に、心からペコペコいたしました。
先が見えない
火事ではなくほっとしたものの、10時30分から13時までは全員が外で「警報が解除されること」を待ちこがれました。解除されるのが1分後か1時間後か何も分からない状態で、1秒1秒が経っていきます。
大部分の人が仕事を放り出し、会社や個人の貴重品・重要書類などを部屋に残し、電気系統もつけっぱなしで命からがら避難したのです。
それだけに、極めて寒い中であっても、避難解除を辛抱強く待ちました。繰り返しますが、警戒警報が解除されれば一刻も早く自分たちの会社へ戻りたい、とみんなが思っているのがよーく分かりました。私もその中の一人でした。少し皆が落ち着いたところで、ビル管理会社の人が、「会社毎の階数と出社人数を教えて下さい」と調査をし始めました。
13時。日本ビルの地下がつながっている二つのビルのうちの東側の一つとの共用地下1階の通路部分に「シートと毛布」が敷かれました。みんな外にいてからだが冷え切っていたので、ほっとできてとても有り難いことでした。
素晴らしき日本人
14時ごろから、とても感動的なことが、起こりました。皆が、感謝の気持ちから、笑顔になりました。B1階の「生活彩家」(コンビニエンス・ストア)の女性オーナーと店員さんが、お店にあるおにぎりやお弁当を配布し始めて皆の中を回ってくれました。皆の予想に反して“無料提供”でした。
さらに、「せいとう」(ステーキとシチリアンワイン)の店長と店員さんが、美味しい具の入った温かいスープを盆にのせて何回も何回も皆の間を回って、これも無料で、提供してくれました。まさに、「干天の慈雨」でした。
避難していたわれわれは全員が「自分が一番大事である」ということで、終始従順で、消防署・ビル管理会社・警備会社の人々の言うことに、一つひとつ従っていました。
常に消防署の責任トップの人が、いろいろな、瞬間瞬間の行動の権限を100%もっているから、その指示に従うことで、13時から17時まで、各自それなりの緊張が継続する中で過ごしました。