また、「行動」より「心」の教育が重視され過ぎていると工藤氏は指摘する。
「生徒たちがこれから飛び出していく社会では、価値観や宗教が異なる海外の人たちともうまく付き合っていかなければいけません。日本には『心をひとつにする』という素敵な言葉がありますが、改めてよく考えてみれば、誰の心も違ってよいのですから、そもそも心はひとつにはできないんです。グローバル化が進む現代では、契約書をなかなか履行しないような文化の人ともちゃんと付き合うための『行動』を教えていくことが大切です。
日本では、生徒会長に立候補するという良い行動を取っても『あいつは本当はそんな奴じゃない』とか、『内申書の点を稼ぐためにやっているんだ』など、陰で非難されることがあります。良かれと思って行ったボランティア活動でも同じように後ろ指を指されることがあります。よい行動を行う人間を育てるための心の教育であるはずが、行った行動よりも心のほうが重視されてしまっているのでしょう。国際的には行動をストレートに賞賛できることのほうが大事だと私は思います」
親や先生の言うことばかり聞くようなら、危機感を持ったほうがいい
「文部科学省は、『主体的で対話的で深い学び』をアクティブラーニングと呼んで推進しています。しかし多くの現場では、『協力すること』が最優先の目的となってしまっています。例えば、班で新聞を作る活動を考えてみましょう。作業中、協力しない生徒がいると『お前も参加しろよ』と非難されます。しかし、せっかく協力して作った新聞も結果的には誰にも読まれないものになってしまうことがあります。そもそも、読み手を想定して作るという目的を忘れてしまっているからです。これからの世の中を生きていけるのは、『そんなの誰も読まないじゃん』と指摘できる生徒。何も考えずに協力する力ではなく、自分自身で『それは必要か不要か』を選択できる力が求められています」
「子どもが親や先生の言うことばかり聞いているようなら、危機感を持ったほうがいいかもしれません。通知表に『素直』と書かれても、私などはほめられたとは思いませんよ」
そんな工藤氏の言葉に、会場からは笑い声も起きた。
工藤氏がそう語るのは、「自律」を麹町中学校の改革の精神として掲げているからだ。すべての改革は、自律的に行動できる生徒を育成するために進めてきた。そのためには、関わる大人たちが変わることも欠かせない。
「大人たちが人を批判する姿ばかり見せていると、同じように人を批判することばかりが先行する子どもが育ちます。そんな子は自律のスイッチを押せなくなります。うまくいかないことがあるとすぐに友だちや先生、親のせいにします。子どもを見ていて『人を批判しなくなったな』と感じたら、それは成長の証なんです」