「誘われている」と錯覚する性犯罪者
確かに思春期の子どもが、教えを乞う年長の相手に憧れや好意を抱くことはあるだろう。それは否定しない。しかし、この曲では、「よそよそしい」「逃げ腰」な態度を取る「teacher」に対して、子どもが積極的にアピールする。「愛について教えてあげるわ」「常識は忘れて頂戴」とも言う。実際にある上下関係を逆転させ、子どもに主導権があるかのように錯覚させる。
援助交際について、買う大人の責任を無視して「売る方が悪い」「売っていなきゃ買えないんだ」と言い張る大人がいる。買うか買わないかの主導権は客にあるという、通常の商売のプロセスを無視している。「売る方が悪い」の裏側には、「女から誘われたら男がノっちゃうのはしょうがないだろ、てへへ」的な誤魔化しがある。
さらにここで恐ろしいのは、実際は売っていないものを「売り出し中」と見なす大人もいることである。援助交際という言葉が蔓延した頃、ただ歩いているだけの女子中高生に対して「いくら?」と持ちかける大人がいた。今でも、恐らくいるのだろう。彼らの頭の中では、「女子中高生が自分の前を歩いていた」という事実が「自分に買ってほしいとアピールしている」と置き換えられる。
経験がある人もいるだろうが、目が合っただけで、ちょっと笑いかけられただけで、「彼女(あるいは彼)は自分に好意がある」と勘違いしてしまう人がいる。好意があると思い込んでいるので、言い寄って冷たくされたり、振られたりすると逆上したりする。ストーカー行為に及んだりすることがある。
知人に、卒業してすぐ部活動の顧問だった男性教師から「みんなで遊園地に行こう」と誘われ、待ち合わせ場所に到着したら、「2人きりのデートだ。さりげなく誘ったけれど、お前もそのつもりだっただろう?」と言われ何とか逃げ帰ってきた経験を持つ女性がいる。
性犯罪の加害者の中には「認知の歪み」というものを持っている人がいると言われる。自分が被害者を襲ったのに「相手から誘われたから襲ってやった」と思っている。被害者の行動を自分に都合よく解釈してしまうのだ。「普通の人」と「異常」と言われる犯罪者は断絶しているわけではない。地続きである。そして上司や教師という立場は慕われているという錯覚を起こしやすい。こういった現実を踏まえて「Teacher Teacher」の歌詞を読むとホラーである。
なぜウケる? 教師と生徒の“禁断の関係”
おニャン子クラブやAKB48の曲が、歌っている本人たちの作詞だったら、まだ「かわいい」と言っていられたかもしれない。しかし実態は、彼女たちに対して絶対的な権力を持つ大人の男が作詞し、歌わせている。10代の子どもでもオンナなのと、年上の大人にアピールする歌を。こんな曲に影響を受ける人はいないと言う人がいるならば、表現の力を侮っている。
秋元康はおニャン子クラブに「およしになってねTEACHER」という曲も歌わせている。大人との恋愛関係を望む子どもの歌を繰り返し作るのは、日本ではこれがウケると知っているからなのだろう。
マセた女子生徒と純粋な「先生」の構図を描き出すことで、得をするのは誰だろう。来る日も来る日も、教師から生徒へのわいせつ犯罪が報じられる中で。
1990年代に「高校教師」という人気ドラマがあった。筆者はあまり好きではなかったが、今思えば、「およしになってねTEACHER」や「Teacher Teacher」の世界観よりはマシだ。ドラマの中では主人公の女子高生が教師と“禁断の”純愛に落ちるが、一方で主人公の親友の女子生徒は、人気教師から好意を逆手に取られて繰り返しレイプされ、妊娠してしまう。生徒側が積極的に誘う甘いラブストーリーの一方で、教師と生徒の関係は本来、教師側が圧倒的に有利な構造であることも、実は描かれていたように思う。
こういう曲を売るななどと言うつもりはないし、日本で最も商業的にセイコウしているプロデューサーが、一部の抗議に屈するわけがない。ただ、「セーラー服を脱がさないで」が今Youtubeで絶賛「キモい」の嵐を浴びているように、30年後に「Teacher Teacher」が「あの時代にはこんな気持ちの悪い曲が歌われていたんだね」と言われる日が来るのであれば、発売当初にも「キモい」の声があったことを、ここに記しておきたい。
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