東日本大震災から2週間以上が経った。震災後、大津波が、400キロにもわたる海岸線を襲い、福島原発の事故は、放射性物質が流れ出す事態となってますます予断を許さない。日本は、おそらく戦後初めての国難の中にある。
筆者も先週末、津波被害の最も酷かった南三陸一帯を訪れた。震災から2週間が経って尚、町中をうず高く瓦礫が覆っている。テレビの映像や新聞、雑誌の画像で幾度も見ていたはずの光景。しかし、実際に、その砂埃の立ち込める中に立ってみると、相当長い間、言葉を失った。
ここで失われた多くの命の中には、当然、勉学や研修、労働とさまざまな目的で日本へ来ていた外国人の命もあった。ご冥福をお祈りしたい。一方で、20人の中国人研修生を懸命に津波から避難させ、自らは津波にのまれた日本人社長の話も伝えられた。
忽然と姿を消した中国人観光客
直接の被災地ではないものの、当日の大きな揺れ以降、今も余震が続く東京都内でも、いくつもの異変が起きた。人々が買い占めに走ったために、食料品、水、トイレットペーパーなどがスーパーやコンビニの店頭から消え、節電のため、街の灯が暗くなった。多くの人の口の端に上ったこれらの異変以外に、大きな話題にはならない、しかし、明らかな異変がある。
ひとつは、銀座界隈を賑わせていた、中国人観光客の姿が消えたことだ。もうひとつは、もはや東京のごく当たり前の日常の一コマに溶け込んでいたかのような存在だった、コンビニや外食店で働く、若い中国人らの姿が見えなくなったことである。
思えば、この2つの中国人像は、今の中国を象徴する存在のようでもあったが、そろって震災を境に日本から姿を消した。
帰国するのは「当たり前」
震災後、日本から退避した人々は中国人に限らない。発生から2週間で約20万人の外国人が日本を離れたことが、関係筋から明らかにされたが、とりわけ人数の多い中国人の大移動はやはり目を引き話題となった。
「どこ行きでもいいから、チケットを売ってくれ」という中国人が、空港カウンターに詰めかけた。中国各地への航空券は軒並み約30万円に値上がりした、などと伝えられた。ふつうであれば留学生には手が出ないが、今回ばかりは、「チケットを買ってやるから帰って来い」という親も少なくなかったという。
日本人からこれを皮肉る声も上がったが、それが筋違いというものだ。外国が未曽有の大災害に見舞われれば、当然のこと、そこに住む日本人も大半が退避・帰国する。そもそも「外国人」とはそういう存在である。
一方、震災後、日本へ入国する外国人は6割減との情報もある。観光客など限りなくゼロに近づいているにちがいない。以前、本コラムで、日々喧伝される「中国人観光客狂想曲」(2010年3月11日『来日する中国人観光客は「上客」なのか』)に警鐘を鳴らしたつもりであったが、そのときいちばん基本的なことを言い忘れたことに今さら気づいた。
天変地異や争乱などのカントリーリスクが発生した際、最初に、しかも最も容易くマイナス影響を受けるのが観光産業である。近年、アジア系外国人をターゲットにしていた別府の一部旅館では、予約の98%がキャンセルされたところもある。