2011年1月14日、ベン・アリー大統領の亡命という衝撃的出来事(ジャスミン革命)から3か月が過ぎた。その後エジプトのムバーラク大統領が失脚したり、イエメン、バーレーン、リビア、シリアなどで民衆騒乱が起こったりすると、一般の人びとの関心もマスコミの目もそちらに向かい、チュニジアについての情報はほとんど伝わってこなくなった。ジャスミン革命で熱狂したチュニジアは今、どうなっているのか、チュニジアはどこに向かっているのか。忘れかけていることだが、エジプトからアラブ諸国全体に広がっている変革の発端はチュニジアであり、アラブの人びとはチュニジア人に勇気づけられて行動を起こしたのである。チュニジアの革命がどうなるのか、その行方はエジプトやその他のアラブ諸国の変革に決定的な影響を与えるだろう。チュニジアはアラブの変革のモデルになるはずである。今、チュニジアはどうなっているのか?
RCD(立憲民主連合)は解体されたか
ベン・アリー独裁体制の中核であったRCDは2月6日に党活動が凍結され、3月9日に解党の判決(チュニス初等裁判所)がなされた。その後、同月28日に控訴院が弁護側の上告を棄却したため正式に解党が決定した。現在は国有財産局の仲介によって、党の財産・資産の清算手続きに入っている。
すでに第二次暫定内閣(1月27日)の閣僚メンバーの内、ムハンマド・ガンヌーシー首相以外はRCD出身者が含まれず(ムバザア暫定大統領をのぞく)、そのガンヌーシー首相も辞任し、2月4日、初代大統領ブルギバ時代の政治家であったベジー・シブシーと交代したのでほぼ完全にRCDが政治の表から消えたことは間違いない。新閣僚は大学の教授や官僚などのテクノクラートから構成されている。その後メンバーの交代があったが、リクルートは同じ分野からなされている。
2月初めにケフ、その他の地方都市で起こった暴動にはRCDの残党が関与していたとの報道もあるが、大きな動きに発展しなかった。すでに多くのRCD党員の県知事が解任されているし、後述の「革命の目標・政治改革・民主的移行実現のための高等機関」が4月11日、RCDの幹部職を務めた者やベン・アリー大統領を支持した政治家は、来る7月24日の制憲議会選挙に立候補できない、との決定をしたので着々とRCDの解党が進んでいるといえる。
政治改革の進み具合と社会不安
憲法の規定で60日以内に実施されなければならない大統領選挙が延期され、ムバザア暫定大統領がそのまま留まり、とりあえず7月24日予定の「国民制憲議会」選挙に向けて政治が動いている。選挙後、暫定内閣は制憲議会に権限を移し、廃止されることになっている。制憲議会によって新しい憲法が制定される。