さらに不穏なのは、「イランに責を帰す」という作戦である。サウジアラビアの音頭取りの下、相次いで各国の政権が、自国内の権利要求の運動の背後にイランの介入があるとする根拠の定かでないプロパガンダを活発に行っている。国内の反政府勢力をイランの手先と決めつけて弾圧を正当化し、米国の黙認と支持を得るのが目的だろう。これは短期的には湾岸産油国の政権への内政や外交上の圧力を低減することに寄与したとしても、中・長期的には政権の不安定・地域秩序の流動化の種を播いている可能性がある。
サウジが中心になり、湾岸アラブ諸国が一丸となってイランの「介入」を非難していくことは、「自己実現的な予言」となりかねない。軍事的には、湾岸協力会議(GCC)諸国が一体となっても、イランに対抗できるとは考えられない。イランとの対立を煽って国内の民主化要求への弾圧を正当化し、米国の黙認と 支持を取り付けようという戦略と思われるが、これは対イランだけでなく、米国の忍耐の限界も試すチキン・レースになってしまいかねない危険な賭けであり、 中・長期的には持続し得ない。ただしイランの政権も、国内の引き締めのためにサウジなどが敵対的姿勢で向かってくることは内心望ましいのかもしれず、当面は「慣れ合い」で非難合戦に付き合うかもしれない。
しかし湾岸産油国のイラン敵視政策が、確固たる根拠事実に基づかず、戦略的にもアメリカの支持をあてにした当座しのぎのものであれば、同じアラブ諸国とはいえシーア派の影響力が強くなったイラクは距離を置くだろう。何よりも、バーレーン、クウェート、そしてサウジの東部州に多いアラブ人のシーア派を阻害し、長期的には内政混乱の根を深めるだけだ。
歴然たる「征服王朝」であり、支配者と被支配者の区別が厳然としている湾岸産油国において、「民主化」の要求に応えることは体制の根本を否定するに等しい。上からの民主化を政権が試みる場合、王族が独占している政治・経済利権を一旦回収して平民・従属民に配分し直すことを意味するため、王族内部での対立が表面化する可能性が出てくる。そのため、民主化を通じた安定化の試みは、政権の内部崩壊をもたらす危険性が高く、そう簡単に踏み切れるものではない。
かといって新世代の「尊厳」を求める要求を抑えつけ続ければ、どこかで暴発し、現在は要求や方向が異なってまとまっていない諸勢力が、結集して政権に立ち向かってくることになりかねない。人口爆発が当分収まらず、高齢化した建国第二世代の王族から次世代への困難な権力継承過程を控えたサウジアラビアにとって、残された時間は少ないが、急激な変化は考えにくい国である。他の湾岸産油国も同様に、統治構造のジレンマを抱えながら、外部には決して見せないものの、数年の間、緊張の時を過ごすだろう。
日本にとって中東の変動の意味は
日本では、中東に関する報道や議論は、「石油価格の急騰」「内戦」といった「混乱」の事象としてしか報じられず、論じられない。また、そのような短期的関心を「超えよ」と主張する専門家の議論にしても、「反米アラブ」に自らの反米感情を託したり、「イスラームが西洋近代を超える」と空想してみたり、「パレスチナ民衆の苦境を知れ」と倫理的な高みに勝手に立って居丈高に説教するなど、一般性・普遍性に欠けるものが多かった。