2024年4月26日(金)

この熱き人々

2018年9月25日

 奇跡的に岩にもぶつからずに無傷で止まって救出されたが、恐怖心がトラウマになってもおかしくない経験だ。が、南谷はそこから7大陸最高峰への挑戦と目標を上げている。

 「阿弥陀岳のことがあってもサポートしてくれる方々がいて、夢が大きくなったんです。ここで止めてしまえば、滑落して助かったことを糧にして前に進めないし、滑落に縛られたまま現実を生きることになる。私はそれを受け入れられない。その先に何をするかによって過去の出来事の意味が変わると思っていますので」

 実際に目標のエベレスト登頂成功の後、死力を尽くすような苦闘の末デナリを制したことで、滑落事故は夢を奪うマイナスではなくさらに大きな夢の原動力にするというプラスに意味を変えたことになる。

 この前人未到の実績から、南谷は登山家と称されることもあるが、本人は自分が登山家だとは思っていないと言う。

 「山が好きなのかと言われれば、嫌いではないにせよすごく好きというのでもないんです。実は山そのものには大して興味がないのかもしれない。私にとって山に登ることは、自分の中でこんがらがっている毛糸の束を一本一本解(ほど)いていく感じなんです。心の中に大きな山があって、世界で1番高い山に現実に登れば心の中の山も確実に登れるのではないかと思ったら、登らざるを得なかった」

 自分が南谷真鈴という人間になるためにはエベレスト登頂がどうしても欠かせなかったと、自著の中で記している。心の中にそびえる山を、実際の世界最高峰を登ることで同時に超えられるのではないかという、切実な思いが感じられる。

自分の生きる世界を捉え直す

 心の中の山は、きっと南谷のそれまでの17年間の道のりで形成されたものなのだろう。1996年12月20日、神奈川県川崎市で生まれた南谷は、貿易関係の仕事をしていた父と専業主婦の母とともに1歳半でマレーシアへ。5歳で一度日本に戻ったが、7歳で今度は中国の大連、9歳で上海へと移り、中学入学時に日本の学校に入学したものの2年の時に香港へ。17歳まで香港の学校に通い、高校3年で日本の高校に編入。トータルすれば外国での時間のほうが長いことになる。

 生まれた時から活発でエネルギーがあふれていたという南谷は、幼少期から勉強のほかにありとあらゆる習い事に熱中。学校では水泳部、次に陸上部に属し、ピアニストを目指せると母親を期待させたピアノをはじめバイオリン、マリンバ、ドラムなどの音楽系、アート系では油絵、水彩画、陶芸、さらにバトントワリングやバレエ、茶道や料理教室まで。


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