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2018年10月29日

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松尾康憲 (まつお・やすのり)

ジャーナリスト

1953年生まれ。76年共同通信社入社。87年から2004年まで北京特派員、上海支局長、ハノイ支局長を歴任。現在は放送報道局委員。著書に『現代ベトナム入門 ドイモイが国を変えた』(日中出版)、共訳書に『中国の禁書』(新潮選書)、『性愛の中国史』(徳間書店) 

不動産売りたいから後見人に
この要求に家裁は言及せず

 百沢力は、消防士長として毎月10回の当直がある交代制勤務の傍ら、妻の手を借りてトシ子の面倒を見ながら、まず、いわき市の駐車場を売却しようと買い手を探し、現地へ何度も足を運んだ。しかし、身の回り品などと違い、なかなか需給が合うものではなく、歳月が過ぎていく。業界関係の司法書士らから「親名義の物件を売りたいのなら、成年後見人になる必要がある」と忠告を受けた。

 こうして、2001年11月、東京家裁八王子支部に対して、トシ子の成年後見人への選任を申し立てた。百沢は、申し立ての実情を次のように書き提出している。

――本人は、4年程前に、自宅で脳こうそくで倒れ、その後痴呆症(注)が表れ、またその少し後に、本人の夫が急死したため、本人1人では何も出来なくなり、申立人の長男夫婦が引取り世話をしていましたが、痴呆がひどくなり、本人を3年程前に青梅市の老人ホームに入所させることが出来入所させ、現在に至っています。

 その後、本人の所有する東京と福島の土地、建物等の財産の管理、処分する一切の件等、入所前に公正証書による遺言(財産を長男に相続、管理させる)を弁護士立会の上作成してありますが、現在、本人のため、東京と福島の土地を売却処分する必要が出たため、又福島の所有する土地、建物を賃貸している借地人、借家人との間に問題が発生し、現に申立人の長男が、本人のため裁判手続をしているため、今後、本人は入所しており何も出来ないので、本人に代わって諸手続を行う必要があるため、成年後見人には、問題のない申立人である長男である百沢力を選任してもらいたい――
(注:厚生労働省が「痴呆」でなく「認知症」を用いるのが適当との判断を示したのは04年。それ以前の出来事を記録する原文の引用は「痴呆」のままとした)

 百沢は申し立てた時「これだけ文書を整えたのだから、司法は私を信頼して力になってくれる」と信じ込んでいた。申し立てから5カ月近くが過ぎた02年4月、百沢を成年後見人に選任する審判が下り、審判は、その理由として以下のように述べた。

――鑑定人の鑑定の結果及び家庭裁判所調査官作成の調査報告書等一件記録によれば、本人は、平成8年ころより健忘、徘徊などの症状がみられるようになり、平成9年1月脳梗塞を発症し、その後痴呆の症状が進行して、在宅困難となり、施設に入所したこと、会話は可能で、日常生活動作も自立しているが、平成14年3月の頭部CT検査の結果、脳室の拡大、前頭葉を中心とした脳実質の萎縮、大脳基底核及び脳室周囲に多発する小梗塞巣が認められており、短期記憶力、見当識、理解力、計算力の障害があり、多発性脳梗塞に伴う脳血管性痴呆と診断されていること、本人の症状が回復する可能性は低いことが認められる。

 以上の事実によれば、本人は事理を弁識する能力を欠く常況にあるというべきである。

 よって、本人について後見を開始することとし、その成年後見人には、本人の長男にあたる申立人を選任することとし、主文のとおり審判する――

 この審判理由には、大きな「空白」があることがわかる。つまり、百沢の実母トシ子が認知症であることの確認と後見人が必要であることの認定については多言を用いているのに、百沢があれほど詳しく説明した所有する不動産物件の売却については一言も触れていないのである。百沢は、売却が必至だと考え、その諸手続きを行う資格を整えるため成年後見人を志したのである。この求めを家裁としてどう評価しているのかに言及してこそ、誠意ある審判といえよう。

 だが百沢は、家裁が自分の言い分を物件売却まで含め一任してくれたと喜んだ。豊島区のマンション(名義は母子で2対1)のローンを返済するため、トシ子名義の不動産物件の売却に奔走し続けた。

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