百沢が悪事を成したかのような論断である。成年後見人を体験した筆者は、この文面から、法制度の運用が現実の社会生活や生身の人生と乖離していることを痛感する。その理由は、次の3点だ。
①審判は、百沢の負債返済を責めている。だが、百沢が勝手に作った借金の返済に充てたわけではない。亡父から東京都豊島区のマンションについての3分の1の所有権および同率の負債を相続し、資産も負債も母子の物が混然一体となっており、借金返済が百沢分にも及んだのである。母を追って己も老いていくことを顧慮する年配となった百沢が、放置しておけば金利が膨らんでいく借金の返済を焦る気持ちも汲み取れていない。
②トシ子が、百沢の妻に月給8万円を渡していることは先に述べた。国税当局は個人が贈与を受けても年間110万円以内であれば非課税としている。こうように定着した社会規範を目安に、司法は、家族間の少額の金銭授受に対して介入を自制するべきではないか。舅や姑が、面倒を見てもらっている息子の嫁、つまり義理の仲である家族に様々な名目で金を渡すのは世の常であり、「法律は家庭に入らず」という古代ローマの格言は法哲学の基礎だろう。
③百沢の家裁に対する報告書の記載に不備があったにせよ、素人の所業であり家裁の職権で是正させれば済む話である。
当事者に弁護士も選ばせない
「俺様司法」
実は、百沢は後見人としての権利を剥奪されないように対応策を提案していた。事務分掌の審判を言い渡される前の2007年8月に、旧知の弁護士と連名で家裁八王子支部に宛て意見書を送っている。
ここに参考として、同税理士の作成にかかる平成18年度と平成19年度分前記の収支報告書を添付致します。従って、新たな成年後見人の選任は、必要性がないものと考えます――
妥当な提案であり、試行させておけば良かったと思うが、審判官は蹴った。在野の知恵を汲み上げる度量を欠いており、「俺様司法」とでも呼びたい。
(敬称略、PART2に続く)