安保激変

2018年10月22日

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村野 将 (むらの・まさし)

ハドソン研究所研究員

拓殖大学大学院博士前期課程修了。岡崎研究所研究員などを経て現職。日本国際問題研究所「安全保障政策のボトムアップレビュー」研究委員等を兼任。その他、Pacific Forum CSIS Young Leaders Program,米国務省International Visitor LeadershipProgram(National Security Policy Process)招聘。専門は、米国の国防政策、核・ミサイル防衛を含む拡大抑止政策、シナリオ演習。

 この不安を解消すべく米国とNATOは協議を重ね、1979年12月のNATO外相・国防会議において、在欧核配備と米ソの軍縮・軍備管理交渉を同時に追求する「二重決定」方針が発表された。すなわち、欧州に米国のINF(「パーシングⅡ」とGLCM)を配備することによって、NATO諸国に対する拡大抑止を保証しつつ、ソ連を核軍縮・軍備管理交渉のテーブルに着かせるための圧力をかけるという方針である。この方針が奏功し、1981年11月には、米ソ双方がINFを撤去するための軍縮・軍備管理交渉が開始された。交渉は紆余曲折したものの、最終的に米ソは1987年12月に双方のINFを全廃することに合意。両国は1991年6月までに、米国は計846基のINF(パーシングⅠ・ⅡおよびGLCM)を廃棄。ソ連も計1846基のINF(SS-20、SS-4、SS-5、SS-12、SS-23、SSC-X-4)を廃棄した。

「INF多角化論」を主張してきたロシア

 INF条約は失効期限の定められていない無期限条約であり、今日まで米露は同条約の規定を遵守する義務を負ってきた。しかし2005年頃を境に、ロシア側から、INF条約が米露のみに適用される二国間条約であることを問題視する発言がなされるようになった。例えば、2005年1月に当時のイワノフ副首相兼国防相は、ワシントンで行われたラムズフェルド国防長官との会談において、「ロシアがINF条約から脱退するとした場合、米国はどうするか」と疑問を投げかけたとされる。また、2007年10月の米露「2+2」では、プーチン大統領が、INF条約に米露以外の国も参加すべきとして多角化の必要性を強調し、もし他国が短・中距離ミサイルを強化する動きがあれば、ロシアはINF条約から脱退する可能性を示唆した。

 ロシア側の主張は、条約に制限されない複数の国々が、INF条約が規制する水準の中距離ミサイルを自由に開発、生産、配備しており、それがロシアに脅威を与えているというものであった。事実、冷戦後には核兵器やミサイル技術の拡散が進み、米露以外でINFに相当する中距離ミサイルを保有する国は10カ国以上(中国、エジプト、インド、イラン、イスラエル、北朝鮮、パキスタン、サウジ、韓国、シリア、この他にイエメンの反体制派武装勢力など)に及んでいる。しかも、これらの国の中距離ミサイルは、いずれも米本土を捉えるほどの射程は有しておらず、ロシアだけがINF条約の不利益を被っているという主張には一定の正当性があった。

 INF多角化論と同時期に、ロシアは米国による東欧の弾道ミサイル防衛計画にも懸念を見せるようになっている。2007年12月、バルエフスキー参謀総長は、当時計画されていたチェコ・ポーランドへのミサイル防衛配備に対して核戦争も辞さないとの姿勢を示した他、ロシアがINF条約から脱退するかどうかの決定は、欧州ミサイル防衛計画に対する米国の態度次第だとも発言した。

 この時期は、冷戦から十数年が経過し、ロシア側の核戦力の老朽化と、通常戦力の近代化の遅れが取り沙汰されており、なおかつロシア側には米国と同水準のミサイル防衛システムを構築できる見込みがなく、米露の戦略バランスの不均衡が徐々に露呈しつつある時期でもあった。そこでロシアは、核戦力の近代化によって、通常戦力の近代化の遅れを補完することに重点を置き、その阻害要因である米国のミサイル防衛を何らかの形で無力化することを模索し始めた。その意味において、INF条約の多角化論は米国に揺さぶりをかける政治的手段であったが、現実的困難性から多角化を真剣に追求しようというモメンタムは生まれず、次第にINF脱退論とともにミサイル防衛を物理的に突破、無力化しうる能力の開発が重視されるようになった。ロシアがINF条約に違反する水準のミサイルの開発・実験を行っているとの報道が出始めたのもこの時期[2007年5月]である。

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