2024年12月23日(月)

“熱視線”ラグビーW杯2019の楽しみ方

2018年11月15日

村上:当時の社会人は夕方までしっかり仕事をして、その後練習をするというのが一般的で、それはイギリスからラグビーが入ってきたときにアマチュアリズムを大切にしていたからです。

 だから社会人は仕事が優先だったのです。

 普通に考えれば経験が多い社会人の方が強いと思われがちですが、社会人は仕事が終わったあとに練習していたため、練習時間を多く作ることができる学生が有利だったのです。

 ですが、社会人チームの中からしっかり強化を図ってくるところが出てきたので、大学ラグビーの人気にあやかるように日本選手権の人気が高まっていきました。

 それに1月6日が大学の決勝戦で1月7日が高校の決勝戦。1月8日が社会人の決勝戦で1月15日が日本選手権と決まっていたので見る側もわかりやすかったというのも人を惹きつけた要因でしょう。

異質なもの同士が醸し出す魅力

田村:もうひとつ、叩き上げの新日鉄釜石対スター選手を揃えた神戸製鋼や、都会的な神戸製鋼対泥臭い三洋電機のように色の異なるチームの対戦。大学生では明治大のタテに対して早稲田大のヨコというわかりやすさがファンを惹きつけました。

 関西では同志社大と大阪体育大学も色の違うもの同士の戦いでしたね。村上さんの頃の大阪体育大学はヘラクレス軍団と呼ばれるような強いフォワードでスター選手を擁した同志社大にチャレンジしていました。

 国内のラグビーを振り返ったとき、こうした色の異なるチームの試合が日本のラグビーの歴史を彩ってきたのです。

村上:それぞれのチームのコーチが必死に考えて取り組んでいたのでチームごとに独自性が生まれて、色の違うもの同士の対戦がラグビーを面白くしていました。アマチュアスポーツだからこそできたのかもしれません。

 当時のコーチたちはみな独学でやっていました。でも、いまはコーチングのレベルが同じで教え方にバリエーションが生まれづらく、チームから以前のような独自性が無くなってしまったのです。

田村:そのような中から早稲田大の大西鐵之祐先生の「接近、展開、連続」のような独自の理論が生まれました。はじめは明治大をはじめ国内のライバルを倒すためのものだった理論が、後年、日本代表がニュージーランドやイングランドと戦うときに生かされるようになりました。ひとつのことを深く掘り下げ追求することによって、世界に通用する独自の理論が生まれたのです。

村上:現在はどこのチームもレベルが高くなっていますが、以前の早稲田大は明治大を倒すために1年間があったと言えるくらいに明治大に勝つことを追求していました。そこで独自性が磨かれていったのです。それが対抗戦の文化です。

 ですが、いまはどこのチームもレベルが高くて、ひとつのチームを倒すことだけに意識を集中することなんてできません。これは競技全体のレベルが上がった証であり進化と言えるものです。

田村:年末から年始にかけては大きな試合が続きました。その時期だけでも十分楽しめたのではないでしょうか。日本のラグビーにとってはいい時代だったと思います。海外のラグビーがどうであろうと、国内は国内で盛り上がり、充実していたのです。

 国内のシーズンが終わると今度はファイブネーションズ(五か国対抗)ラグビーが始まって、ファンの目が一時国外に向いて、何年かに一度は日本代表が海外遠征でウェールズと試合をしたり、イングランドが来日したり、国内とは異なるラグビーを楽しんでいました。

 国内と海外を分けて考え、その一つひとつがわかりやすく完結していたのです。

――ラグビーに詳しくない人にもわかりやすい構図だったということですね。

*後編に続く

  
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