2024年11月22日(金)

Wedge REPORT

2019年1月9日

知的障害者の社会的自立に向けた支援に取り組んでいる一般社団法人ION。障害がある彼らだからこそ得意とする仕事とは……(撮影:筆者、以下同)

 2018年4月。障害者の法定雇用率が民間企業は2.0%から2.2%、国、地方公共団体は2.3%から2.5%、都道府県等の教育委員会は2.2%から2.4%へと引きあげられた。

 また、対象となる事業主の範囲も従業員50人以上から45.5人以上へと広がった。

 この改正を見る限り国は障害者の雇用に積極的に取り組んでいるようにも見えるが、今年8月中央省庁の障害者雇用の水増しが顕在化したように実態が伴わないものだった。

 「共生社会」の実現という理念はどこへいったのか。本来であれば国が積極的に障害者雇用に取り組み、身体、知的、精神さまざまな障害に対し、どのような職種に適性があるのかなど知見を開示し、企業の法定雇用率の達成を促すのが本来の姿ではないだろうか。

 もちろん法定雇用率の達成という数字にのみ意味があるわけではない。障害者雇用率制度には、「雇用・就業は、障害者の自立・社会参加のための重要な柱」「障害者が能力を最大限発揮し、適性に応じて働くことができる社会を目指す」と記されている。これを形骸化させないためにも中央省庁こそ多様な人材を生かすべく積極的に取り組んでほしい。

 単なる数合わせではなく、人を生かす仕組みと仕事が必要なのだ。

◆◆◆

 本コラムは知的障害者の社会的自立に向けた支援に取り組んでいる一般社団法人ION(アイオン)についてのレポートである。

 子どもの自立を子育てのゴールとするならば、障害のある子どもをもつ親にとってのゴールとはどこにあるのだろう。本人にとって、家族にとっての幸せとはなにか――。

 一般社団法人IONは東京都西東京市に事業所を置き、就労移行支援・就労継続支援(B型)、共同生活援助(グループホーム)、放課後等デイサービスの4事業を行っている。

 代表理事の天宮真依子氏と作業所管理部長の賀部拓也氏に話を伺った。

代表理事の天宮真依子さんと作業所管理部長の賀部拓也さん

力強い後押しを受け 一般社団法人IONを設立

――一般社団法人IONを設立した経緯をお聞かせください。

代表理事 天宮真依子(以下、天宮):数年前までは教職員という立場から、障がいのある子どもと関わっていましたが、教員時代の私にとっては卒業式がゴールでした。一般企業や福祉作業所への就職が決まり『卒業おめでとう。いってらっしゃい』と送り出してひと安心。それが進路の区切りだったのですが卒業生やそのご家族の話を聞いているうちに、卒業してからの人生のほうが長いことに気づかされ、ご家族にとってのゴールとはどこにあるのだろうと考えさせられました。

 知的障がいをもつ彼らが大人になっていくその時、親御さんたちも年老いていくんです。

 それを考えると、私たちにはもっとできることがあるんじゃないかと思ったのです。

 知的発達に遅れがあり、精神年齢からいえば小学生くらいの方を例に挙げたとして、18歳で一般企業に就職するには適齢であるかどうか疑問があります。

 卒業生の保護者の方々からお話を聞くと、就職しても人間関係がうまくいかずに辞めてしまうケースや、働くためのスキルが身についていない例がありました。そこでもう一段階、学校を卒業したあと社会に出て仕事をするためだけトレーニングや知識を学べる場所が必要なんじゃないかと考え、就労移行支援と就労継続支援(B型)の施設を作ろうと法人設立に至りました。

――ION設立の前にも自宅の隣にグループホームを設立されたとお聞きしていますが。

天宮:きっかけは知的障がいのある方のためのグループホーム設立が大変困難であるとの話を耳にしたことです。「知的障害の人に土地を貸すと地価が下がる」や「物件が汚れる」などという偏見によって土地探しに困った事例を聞きました。

 それを知った夫(現教職員、ION顧問の天宮一大)が「なにも知らないくせになんてことを言うんだ」と怒って、「それなら俺たちで自宅兼グループホームを建てて一緒に住もうじゃないか」と住んでいたマンションや車などを売って、なんとかお金を工面して実現にこぎつけました。

 ですが、あれ以上のことは個人ではできません。限界です。それが法人設立のきっかけになりました。

――当時の天宮さんは退職されて子育て中の専業主婦でした。すごい決断だったと思うのですが。

天宮:(施設が)必要なことはわかっていますから、やるか、やらないか気持ちしだいです。夫婦間で最終的なやりとりをしたときに、子どもを育てながら代表理事なんてできるのか、大きな借金まで抱えてやっていけるのだろうか、というプレッシャーや迷いのようなものもありましたが、この先の人生において、「あの時にやっておけばよかった」という後悔はしたくないと思いました。

 その後、多数の親御さんや卒業生たちの協力があり、背中を押されるように設立に向かいました。


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